2003.3.27
ワールド・シアター・デイ メッセージ


タンクレート・ドルスト (ドイツ・劇作家)

 私達がいつでも繰り返し提起するのは、演劇は今日でもなお時代遅れのものではないかという問いかけである。演劇は二千年にわたって世界を映し出し、人間の状況を論じてきた。悲劇は人生を宿命として示して来たが、喜劇も相当程度にそういえる。人間は過ちに満ち、致命的な錯誤を犯し、自分の環境と事を構え、権力に飢えているが弱々しく、策士のくせに人を信じやすく、何も知らないと快活だが、何か事が起こると神を求める深刻な病にかかってしまう。

 最近、よく耳にするのは「演劇は従来の演劇手段、従来のドラマトゥルギーでは捉えられなくなっている、だからもうストーリーを物語ることはやめ、その代わりさまざまな種類のテクストを使い、対話はやめて発言(ステートメンツ)を使うのがいい、ドラマはおしまいだ」というような所説である。

 われわれの生の地平には、全く別種の人類があらわれてくる。希望や目的に応じて作られるクローン人間たちで、遺伝子の技術で技術的に量産も出来る存在だ。この完全無欠な新人類が存在するようになったら、もうわれわれの知っているような演劇などは必要とすまい。演劇の扱う葛藤などは、彼らには理解できまい。だが、われわれには未来のことは分からない。私が思うに、われわれは与えられた全ての力と能力を使って―誰から与えられたかはわからないが―われわれの忌まわしく美しく欠陥の多い現在と、われわれの不合理な夢想と、未知の未来に刃向かう報われることのない努力を守る続けて行くべきだと思う.われわれは手段をたくさん備えている。

 演劇は不純な芸術だ。そこにはヴァイタリティあふれる力が潜んでいる。演劇は立ちはだかるいっさいのものを物ともせずに利用して行く。自分の原則に絶えず離反して行く。もちろん時代の流行に流し目を使い、他のメディアの表象を奪い、時にはゆっくりと時には早く語り、どもったり黙り込んだりし、思いあがり愚かしく、ストーリーを避けたり破壊したりしているのに、そのくせ、またストーリーを物語っている。

 私は確信する。人間が自分たちはどんなものであり、どんなものではないか、どんなものであるべきかを、お互いに示し合い、演じてみせあう欲求を持つかぎり、演劇は繰り返し生に満ちた存在になるだろう。

 演劇万歳!演劇は車輪の発明や火の制御のような、人類の大発明のひとつである。

(訳・解説 岩淵達治)