内村直也賞は、1985年から89年の間、ITI日本センターの第3代会長を務められた劇作家、故・内村直也氏のご遺族が同氏の遺志を継いで1992年に創設されました。
以降、毎年、なんらかのかたちで日本の舞台芸術や方法論の影響がみられる上演作品や研究など、日本の文化に関連づけられる優れた活動を行った海外のアーティスト、カンパニー、研究・教育機関などに対して贈られています。
同賞は、内村氏のご遺族から氏の遺志を伝えられた当時の国際理事、フランス文学者の故・戸張智雄氏が、1992年にパリで開催された第93回ITI理事国会議に諮り、正式にITIの国際的な賞として承認されました。
賞の選考は当初、ITI理事国会議で各国が推薦するプロジェクトを検討するというルールで進められてきましたが、現在は日本・スロヴェニア・スイスの3国による「内村直也賞委員会」で検討した結果を理事国会議で再検討し、決定しています。
授賞式は受賞者の出身国で取り行われ、受賞者には3000ユーロの賞金が授与されます。設立当初、賞の授与期間は5年間に限っていましたが、内村家の強い意志によって継続され、現在、第5次の5年間を迎えています。
日本の文化を学び、舞台芸術の創作・普及にとり組んだ海外の作り手たちをサポートし、奨励することを目的とする「内村直也賞」は、日本が外国のアーティストや研究者を対象に顕彰する数少ない賞の一つで、ITI日本センターは創設以来、この賞の管理・運営の責任を担っています。
内村直也(うちむら・なおや)
劇作家。1909年、東京に生まれる。慶應義塾大学経済学部在学中から岸田國士に師事。1933年、兄の菅原卓(実業家・劇作家・演出家)が創刊に参画した岸田主宰の雑誌『劇作』同人となる。1935年に処女作『秋水嶺』を発表、築地座で上演され、劇作家デビュー。以降、戯曲を発表する一方で、終戦後はラジオ・テレビドラマの開拓者として精力的に創作活動を展開した。さらに、小説、海外戯曲の翻訳・編纂、ラジオ・テレビドラマの方法論、日本語の話し言葉論など幅広く手がけた。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章授章。芸術祭賞、毎日芸術賞、イタリア放送協会賞など受賞多数。1989年、逝去(享年79歳)。
代表作に、戯曲『雑木林』(1948)、『夜の来訪者』(1951・プリーストリー原作の翻案)、『お世辞』(1955)、『遠い凱歌』(1956)、また、日本の民間放送初のテレビドラマ『私は約束を守った』(1953・日本テレビ)や『追跡』(1955・NHK)、ラジオドラマ『跫音』(1947)、『雪の上の眠り』(1954)、『沖縄』(1958)、『マラソン』(1959)、『画廊にて―漁夫』(1963)など多数。特に、NHKの連続ラジオドラマ『えり子とともに』(1948-1951)で広く知られ、劇中歌「雪の降る街を」の作詞も手がけた。
著書に、『秋の記録 戯曲集』(1949・能楽書林)、『内村直也ラジオ・ドラマ選集』(1951・宝文館)、『テレビ・ドラマ作品集』(1957・宝文館)、『ミュージカル』(1958・音楽之友社)、『新しいドラマトゥルギー 日本の風土とドラマ』(1962・白水社)、『内村直也戯曲集』(1966・白水社)、『日本語と話しことば』(1976・北洋社)、『タナトロジー〈死ぬ技術〉 自選短篇ドラマ集』(1985・日本放送出版協会)、『女優田村秋子』(1984・文藝春秋)など多数。