<対談> 朗読劇『この子たちの夏――1945・ヒロシマ ナガサキ』
子どもたちへ 戦争は遠い過去の話ではないー戦争の〈悲惨〉さをどのように伝えるかー

マリゴールド・ヒューズ(演劇プロデューサー/UK)×市村作知雄(「フェスティバル/トーキョー18」エグゼクティブ・ディレクター)
司会:曽田修司(国際演劇協会日本センター事務局長)


1985年の初演から、33年を迎えた『この子たちの夏』。終演後、ヒロシマをテーマにした作品をつくったプロデューサーのマリゴールド・ヒューズさんと、フェスティバル/トーキョーのエグゼクティブ・ディレクターで、ヒロシマとフクシマをテーマとした2作品をプログラムした市村作知雄さんに、歴史的な惨事をテーマとすること、なにを、どうやって伝えるのかということについて、お話をうかがいました。
 

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ロンドン大空襲とヒロシマ

曽田 まずはマリゴールドさんと日本とのかかわりからお話しいただけますか?

ヒューズ 高校生の頃、交換留学で広島に来たのが日本とのかかわりの始まりです。広島平和記念資料館で、一瞬で多くの人々が亡くなったことを知り、打ちのめされました。その時の動揺、受けた衝撃は、ずっと心の中にひっかかっていました。
 さらに大学を卒業してから2年間、日本で暮らし、その後、ロンドンへ戻って修士を取ったあと、2015年にロンドン東部にあるコミュニティ・シアター「ロンドン・バブル」に入りました。当時、彼らは『ロンドン大空襲の孫たち』というプロジェクトに取り組んでいました。ロンドン・バブルの本拠地はテムズ川のすぐそばで、物資を搬送することもあり、空襲で大きな被害を受けた場所だったのです。
 ロンドン・バブルの芸術監督ジョナサン・ペサブリッジは、大空襲のときロンドンで暮らしていて生き延びた当時の子どもたちと、いまの子どもたちとの交流の場を設けたいと考えていました。子どもたちにインタビューのやり方を教えて、当時子どもだった大人たちの置かれていた状況について理解する場を設けたんです。そして、このインタビューを元に『ブラックバーズ』という演劇作品をつくり、ロンドン大空襲70周年記念の2011年5月に初演しました。
 このプロジェクトを終えたあと、私はロンドン・バブルを離れたのですが、広島でも同様のプロジェクトをやれたら……と考えていました。ジョナサンに話を持ちかけ、助成金集めからはじめて、私個人が全責任を負い、準備に一年ほどかかりました。結局、大和日英基金から助成を受けることができ、2014年8月、演出家の秋葉よりえさんと一緒に15名の広島の子どもたちにインタビューの仕方を教え、実際に被爆者にインタビューをしてもらいました。翌2015年4月、再び広島に行き、集めたインタビューの断片をどう結び付け、キャラクターをつくり、ストーリーを構築していくかを探っていきました。幸い広島では多くの人が協力的で、私たちを手伝ってくれました。特に、共同プロデューサーの小笠原由季惠さんがいろいろと手を尽くしてくれました。
 2015年の7月、約3週間かけて全体をまとめていき、原爆投下から70周年にあたるこの年の8月6日、『ヒロシマの孫たち』は無事、初日を迎えることができました。7歳から80歳の人々がパフォーマーとして参加したのですが、小さなコミュニティのようなものが形成され、カンパニーの中に絆が芽生えたことが非常に印象的でした。ステージ上にはインタビューされた被爆者たちの声が流され、彼/彼女らの声を現代の子どもたちが体で表現し、肉付けをしていく……とてもパワフルな表現になったと思っています。

曽田 広島の人たちの反応はどうでしたか?

ヒューズ すばらしかったです。原爆に関連した同じようなプロジェクトがたくさんあったので、現地の人に「またか……」と思われるのではないかと懸念していました。しかし、実際にやり始めると、子どもたちも大人たちも、いままで彼らが体験したものとは違うと感じてくれたようです。
 また、広島はロンドンや東京などの大都会に比べて小さな市ということもあり、チームがまとまりやすいと思いました。以前、日本の学校で教えたことがあるのですが、そこでも日本人はチームワークが上手だという印象を受けました。

曽田 オーラル・ヒストリーと演劇を結びつけることについての反応はいかがでしたか?

ヒューズ 「被爆者たちにインタビューをしてもらうためのトレーニングをします」と言ってありましたし、特に大きな飛躍はなかったようです。最初からゲームをたくさんやってもらって、子どもたちが”遊び心”を発揮できるような雰囲気をつくりました。子どもたちとの間に信頼関係が築けたんじゃないかと思っています。
プロジェクトの最初のころ、『ロンドン大空襲の孫たち』の写真を見せながら説明をしたので、こんなふうになると想像ができたことはプラスになったかもしれません。『ロンドン大空襲の孫たち』に比べて広島のプロジェクトは時間がなく、短期集中でやるしかありませんでしたが、子どもたちはみんな頑張り屋で、精神的に成熟していて、ベストをつくしてくれました。

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「遠い」国を「近く」すること

曽田 フェスティバル/トーキョー2018では、バングラデシュの劇団ショプノ・ドルが広島をテーマにした『30世紀』を上演し、また、マレビトの会の長期プロジェクト『福島を上演する』が3年目を迎えます。
 ヒロシマ、フクシマを「いま」上演するとき、どういう意味合いを持たせるのか、あるいは持ってしまうのか、ということについてお聞かせいただけますか?

市村 僕のフェスティバルのプログラムの組み方は、コンセプトは決めるんだけれども、それに限定はしません。バングラデシュの芝居は極めてリアリズムです。非常に素朴で、「世界の平和を!」と謳っているので、僕がいままでやってきた方向、これからやりたい方向からすると、コンセプトとしては離れていると言えます。
ですが、一方で、フェスティバルでは、日本と繋がりの薄い国のものは紹介すべきだと考えています。バングラデシュの芝居は日本ではほとんど知られていませんし、しかも、バングラには「ヒロシマ・デイ」があるということを知りました。実は、“原爆”がもっとも風化してしまっているのが日本じゃないか、ヒロシマに対する日本人の感覚が相当狂っているのではないかと思いましたね。

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曽田 ある歴史的事象の意味を演劇で伝えるということについては、どうお考えですか。

市村 例えば、フェスティバル/トーキョーで他の国の作品を呼ぶ場合、ダイレクトに招へいしていて、誰の検閲も入っていません。一方、日本のニュース映像やドキュメンタリーはかなり恣意的につくられていて、操作されているとしか思えない。演劇は、それを破っていく。
 日本の近代の歴史は、他のアジア諸国と比べて非常に特殊な歴史をたどってきています。僕の世代は、子どものころ、アジアに対する差別の意識を植え付けられている。そういうものを壊していくことが、僕がフェスティバルのディレクターをはじめてからの主要なテーマだと思います。
 先日、ある放送局でアメリカの原爆に関する公文書についてのドキュメンタリーをやっていました。公開された公文書によると、原爆が計画されたのが戦争が終わる3~4年ほど前で、当初から「日本のどこに落とすか」を論議している。その時期はまだドイツとも戦争しているので、おかしいと思いました。
 結局、差別の根源は、自分と相手との関係が「遠い」か「近い」かなんだと思います。遠くちゃだめなんだ。アートも、いかに交流して、遠い国を近くするのかがもっとも重要なことで、それが唯一、戦争を避ける方法だと思う。それが僕の結論なんです。

曽田 マリゴールドさんがやっているのは、証言を使った演劇ですが、「証言」の有効性、あるいは、証言と記憶と歴史の関係についてはどう思われますか?

市村 本当のことを言うと、僕は、証言は証言のまま記録すべきだと思っています。これは、証言したそのままがリアリティを持つかという、とても大きな問題なんですね。僕にとっては、つくられたものの方がむしろリアリティを持っている。証言をもとにして、いかにつくるか。そのままやるのだったら、証言はそのまま残して、そのまま聞かせるほうがいいと思います。

ヒューズ そのままにしないで、リアリズムを持たせるために手を加えるということでしょうか?

市村 証言にアーティストが手を加えて加工すべきだということです。加工の過程で、その人の価値観もわかる。演出家は、その証言を自分なりに理解して、長いインタビューの中からある部分を選んでいるはずです。その時点で、きちっと意志が入る。僕は、ドキュメンタリー演劇にはある種のごまかしがあると思っています。演出家の意図が存在するにもかかわらず、隠されている。ドキュメンタリーの演劇やフィルムには、実際、つくった人の意思が相当の量、入っている。僕はその部分をはっきり外に出したほうがいいと思っています。

ヒューズ そうですね。広島のプロジェクトの場合、実際に、インタビューの肉声そのものを舞台上で流しました。それがムーブメントや人形などと同じように、演出のひとつの手法として取り入れられたわけです。その点では、純粋なドキュメンタリーとは違うかもしれません。
ロンドン大空襲のプロジェクトでもインタビューをしたわけですが、舞台作品のために必要な部分を選んで、素材として使いました。また、録音したインタビューはそのまま大英帝国戦争博物館に寄贈しました。作品を観に来るお客さんも、ドキュメンタリーではないと分かっていたと思います。『この子たちの夏』はどちらかと言うと、ドキュメンタリー的なアプローチかもしれませんね。そういう意味では、タイプの違う作品かもしれません。

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多様性と「いま」の視点の重要性

市村 『この子たちの夏』は、原爆の一番悲惨なところだけを取り出してやっているわけで、もちろん、そうしている理由は僕にはよくわかります。考えなくてはならないのは、原爆を扱った作品の場合、その衝撃があまりにも強いので、観たときに「よかったですね」と褒めるしかない、という状況になりがちです。

ヒューズ 内容があまりにも深刻なので、敬意を払うために、「よかった」と言うしかないということでしょうね。そこから先に考えが広がりにくい。

市村 福島の大震災を取り上げた作品でも同じことがあって、そういう芝居は、すばらしいと言うしかない。いろいろ思っていることはあっても、「ちょっとおかしいんじゃないか?」という発言は、やはりしにくい。『この子たちの夏』は、たとえば、それまでに起こった戦争のことなどはあえて描いていませんね。そこへ踏み込んでしまうと、どうにもならないくらい混乱が起きてしまうからです。

ヒューズ 大空襲当時のロンドンの人たちは、嫌悪感をすべてドイツへ向けていました。イギリスが当時のドイツ国民にどんなにひどいことをしていたかはなにも知らずに、一方的に嫌っていた。日本の国民たちも、日本人がよそでなにをしていたか知らずに、敵意をアメリカに向けていたんでしょうね。イギリスもアメリカも日本も、他国にひどいことをしたわけですよね。でも、どうしても自分たちの国の立場で考えてしまう。
 そういった意味で、視点の異なる複数の作品を並列して日替わりで上演すれば、全体の視点を網羅できるかもしれないと思いました。

市村 多様性を持たせなくてはいけない。お互いのことを知らないで戦争をやってしまう、そこが一番の問題なんです。

ヒューズ 私もそう思います。

市村 もうひとつ気づいたのは、ロンドンも空襲で多くの人が亡くなり、東京大空襲でも10万の人が亡くなっているのに、広島・長崎が他と違う扱いを受けるのは、それが原爆だったからなんですよね。この問題も当然、取り上げるべきです。世界大戦以降の世界が、原爆を持っているか、持っていないかで分割されていくわけですから。
 アートの活動をしている限り、批判を許さないものは絶対ダメだと僕は思っているんです。原爆、フクシマ、それから障碍者のつくったアート作品……こういうものこそ、もっと広く批判を仰いだ方がいいと思う。

曽田 マレビトの会の『福島を上演する』もフクシマをテーマとしているわけですが、どんなアプローチの作品になるのでしょうか。

市村 簡単に言えば、「いまの福島のあり様をそのまま伝えたい」ということでしょうか。要するに、フクシマの被害を声を大にして言うのではなく、むしろ福島に住んでいる人々の間でさえ、このフクシマの問題が風化していっていることを描いています。震災から何年もたち、人々の日常の中ではフクシマのことは忘れ去られていく。そういう福島の日常をそのまま描き出す芝居です。
 『この子たちの夏』は、「そのまま」のように見えて、つくった人の意思が強く入っている。僕にとっては、過去は過去なんですね。さらに50年たつとますます過去になっていく。それを理解した上で、なにを伝えるのか、なにを残すのかということ、それが問題です。
 いまの20代から30代は、自分のお父さんも、おじいさんも第二次世界大戦を経験していない。そういう人たちが、こういう作品をどう観るのか、そこが知りたい。来年、ポーランドの若い人たちの芝居をフェスティバルに呼ぶ計画があります。その意図は、「ベルリンの壁が壊れたあとに生まれた演出家がなにを考えているのか知りたい」ということ。逆に言うと、作品には「いま」の視点を入れた方がいい。

ヒューズ そうですね。「遠い過去の思い出話」にしてはいけないと思います。私がやってきたプロジェクトは、いまも起こりうる過去の出来事を現代に持ってきたいという思いがありました。だからこそ続編的な企画があるといいと思いました。最終的にすべて「子どもたち」に還元したのは、このことを意図していたからです。広島のプロジェクトに関しては、『アフター・ヒロシマ』という、原爆投下後の平和運動をテーマとした作品もつくりました。
 どの演劇作品もそうですが、なぜこの作品をつくっているのか、なにを変えたいのか、ということをちゃんと意図しなければなりません。つくり手は必ず自問自答するべきだと思います。

(2018年8月4日・公益財団法人せたがや文化財団会議室にて)

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マリゴールド・ヒューズ(Marigold Hughes/UK
プロデューサー。2002年、ロイヤルセンタースクール・オブ・スピーチアンドドラマ卒業。2002年から2004年まで日本に滞在し、毎日新聞(デイリー・ヨミウリ)で劇評を執筆する。2007年から、ロンドン・バブル・シアターにて演劇ワークショップ講師を担当。2011年からロンドンの劇場、シアター・センター所属となる。2010年〜2011年まで、ロンドン・バブル・シアター『ロンドン大空襲の孫たち〜黒い鳥たち』を共同プロデュース。2015年には、広島の子どもたちによる被爆者へのインタビューをもとにした『ヒロシマの孫たち』(構成:瀬戸山美咲)を企画・プロデュース、日本での上演を皮切りに、世界8か国・10か所で朗読会を行った。

市村作知雄(いちむら・さちお)
「フェスティバル/トーキョー18」エグゼクティブ・ディレクター。1949年生まれ。ダンスグループ山海塾の制作を経て、トヨタ・アートマネジメント講座ディレクター、パークタワーホールアートプログラムアドバイザー、(株)シアター・テレビジョン代表取締役を歴任。東京国際舞台芸術フェスティバル事務局長、東京国際芸術祭ディレクターとして国内外の舞台芸術公演のプログラミング、プロデュース、文化施設の運営を手掛けるほか、アートマネジメント、企業と文化を結ぶさまざまなプロジェクト、NPOの調査研究などにも取り組む。2017年3月まで東京藝術大学音楽環境創造科准教授。現在、NPO法人アートネットワーク・ジャパン顧問。