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2000.3.27
ワールド・シアター・デイ メッセージ


世界演劇日ワールドシアターデイ

ミシェル・トランブレイ(劇作家)

二千年以上も昔、ユウリピデスは『エレクトラ』で言いました:「私の告発をどのように始めるか、どのように終えるか、そしてその間に何を置くべきか」と。婉曲話法と紋切り型表現の時代、ものごとを在るがままに言うより、人々の脆い自尊心をいたわるのが良しとされる時代に、それゆえにアガメムノンの娘の叫びは常に適切です。それこそが演劇の役割ではないでしょうか。告発し、不正を暴き、挑発し、混乱させることが。

この、ますます滅菌されて味気なくなり、権力の高みからすべてを指揮しようとする傾きのある二、三の巨大な文化圏に拘束されている私たちの社会で、演劇を容易にしてくれるのは、流行の、たこができるほど耳にする世界連邦化や、是が非でもの普遍性や、この世界を、すべてが同じ一村落の規模に縮めてしまう怖れのあるグローバリゼーションなどではありません。すべてが互いに似ようとしすぎれば、もはや何も通低項はなくなってしまうでしょう。

否、この2千年紀の初頭にあたって、救いは、むしろ小さな声からやって来るでしょう。それらの声は不正義を嫌悪して、いたるところから上がり、また、演劇の根源そのものと共鳴して、人間の本質を抽き出し、それを絞り、それを全世界と共有するために伝播するために上がった声なのです。これら小さな声はスコットランドから、アイルランドから、南アフリカから、ケベックから、ノルウェーから、ニュージーランドから届いています。それらの声は自分たちの憤りの叫びを、あらゆるところで聞かせており、しばしば地域の匂いと、はっきりした色彩を持っており、グローバルなものなど全くありません。しかし、事実であり、少なくとも、それらの声は真摯なものなのです。それらの声は、人々皆に語りかけます。なぜなら、初めにその声が向けられるのは、ある誰か、特定の聞き手であり、それらの声に自分の心の動揺、痛みを感じて反響し、自分自身について泣き、自分を突き放して笑うことの出来る聴き手なのです。出発点で、肖像のデッサンが似ていれば、世界中は互いに自分がどこにいるか知るようになるでしょう。

なぜなら、演劇のテキストの編成は、そのテキストが書かれた場所にあるのではなく、テキストから抜け出した人間性の中にあり、テキストの発言の正しさの中に、テキストの構図の美しさの中にあるからです。パリやニューヨークで書かれるものは、むしろシクーティ(※1)やポルトープラン(※2)で書かれるものより普遍的ではないのです。より普遍的であると言えるのは、自分を知り、自己批判することの出来る観客に、知っていることについて語ることで、演劇の奇蹟で、そこに籠める信条で、そこに注がれる誠実さで、人間の魂を書き表し、歌い、その秘義を探し出し、その豊かさのすべてを取り戻すことができる時です。チェーホフが普遍的であるのは、ロシア人であるからではなく、彼は、すべての人間がそこで見出されるようなロシア人の魂を描ききる天才を持っているからです。単に、“良い”劇作家も含めてあらゆる天才たちとは、そういうものなのです。この世界のどこかの一人の作家によって書かれるどんな台詞でも、それが、あの「私の告発をどのように始めるか、どのように終えるか。そして、その間に何を置くべきか。」という『エレクトラ』の根源にある叫びを表している時にこそ普遍的なのです。

(※1 ケベック州モントリオール近くの小さな町 ※2 ハイチの首都)

* * *

ミシェル・トランブレイ氏略歴
Michel Tremblay

ミシェル・トランブレイ氏は、1960年代以降のケベック演劇界における指導者的存在であると同時に、小説家・翻訳家・映画台本作家としても著名な存在である。
1964年、氏は「Le Train(列車)」(1959年作)で、カナダ放送協会後援による新進作家のコンテストに優勝、同年アンドレ・ブラッサールと出会い、以後ブラッサールはトランブレイ作品の初演をほぼすべて演出することになる。1968年、モントリオールのリドーヴェール劇場Theâtre du Rideau Vert で初演された「Le Belles Sœurs(美しい姉妹)」(1965年作)は、上演後直ちに批評家や一般観客から絶賛を受け、以来各国で上演され、1973年のパリ、エスパス・カルダン l’Espace Cardin での上演は「73年度最優秀外国作品」と位置づけられた。
1972年、氏は初めての映画台本「Il était une fois dans l’est(昔、東方で)」を執筆、翌年アンドレ・ブラッサールが監督し、1974年カナダの代表作品として、カンヌ映画祭とシカゴ映画祭に出品された.ブラッサール=トランブレイの共同制作映画としては他に1972年短編映画「François Durocher, Waitress(ウェイトレス―フランソワ・ドゥロシエ)があり、これは同年カナダの「ジェニーGenie賞」の3部門で受賞している。
1978年以降、氏の「Chroniques du Plateau Mont Royal(ロワイヤル高原年代記) 」となる小説6作をLeméac Editeur (レマック)社が刊行、バンクーバーのTalonbooks (タロンブックス)社はこの作品群全てを英語に翻訳出版した。レマック社は1986年にも氏の私小説的作品「Le Cœur découvert(暴露した心)」を、また1993年にはその続編「Le Coeur éclaté(破裂した心)」を刊行した。 1990年には「Les Vues animées(生きたまなざし)」という、12編の自伝小説を発表。これは一人の少年がフランス映画、アメリカ映画、ケベック映画を発見してゆくという筋の作品。1992年にはさらに自伝小説集2作目である「Douze coups de theâtre(演劇の12の襲撃)」を、つづいて文学の発見に関するエッセイ集「Un ange cornu avec de tole(ブリキの翼を持つ角のある天使)」(
1994)、「La nuit des princes charmants(美しい王子たちの夜)」(1995)、「Quarante-quatre minites quarante-quatre seconds(44分44秒)」(1997)、最新作「Hôtel Bristol, New York, N.Y.(ニューヨーク州ニューヨーク市ビリストルホテル)(1999)をLeméac Editeur(レマック)社から発表した。
氏の戯曲の多くは海外でも高い評価を受けている。「ボンジュール・ラ・ボンジュール」は1980年ニューヨーク、1981年東京で、「美しい姉妹」は1982年シカゴ、1982年グラスゴーでそれぞれ上演。また1987年パリで上演された「Hosannna(ホザンナ)」は中でも特に成功を収めた。カナダ、米国の各地のほか、英国、フランス、ドイツ、スコットランド、べルギー、フィンランド、ポーランド、オーストラリア、オランダ、イタリア、スウェーデン、デンマーク、スイス、ベネスエラ、ブラジル、ルーマニア、チリ、ザイール、日本など、世界の各国で上演されている。
氏の作品は、現在では戯曲22件、音楽喜劇3件、小説11件、物語編集1件、短編集3作、映画台本7作にのぼるが、そのうち全戯曲作品、小説3作、物語集1作は英訳され親しまれ、フランス、英国、ドイツのみで出版されている作品もある。
また、アリストファネス、ボール・シンデル、テネシー・ウィリアムズ、ダリオ・フォー、チェーホフ、ゴーゴリ等の原作の翻訳・翻案は20にのぼる。このほか作詞家としても活躍、ケベックの有名歌手が演奏し、1989年にはオペラ台本も手がけた。
最新作「Encore une fois, si vous premettez(よろしければ、もう一度)」は1998年リドーヴェール劇場で初演、ほぼ同時期にケンタウロス劇場で英語版「For the pleasure of seeing her again(彼女に再会する喜びのために)」で上演され、1999-2000年の演劇シーズンはカナダ各地の旅公演を続けることとなった。
一方、氏はカナダ・アーツ・カウンシルから芸術研究費として6回の助成を受け、受賞歴も多い。1984年には芸術文芸シュバリエ章 Chevalier de l’Ordredes Arts et des Lettres de France を受け(1991年に勲四等に昇格)、同年ケベック国民シュバリエ章Chevalier de l’Ordredes National de Quebec叙勲、四つの名誉博士号も授与されている。
1999年舞台芸術提督賞を受賞。
氏の作品に関する研究書は既に数点あり、「Le Monde de Michel Trenblay(ミシェル・トランブレイの世界)」(ランスマン社刊、1993年)、「トランブレイ作品辞典」(1996)などがある。1987年にはLIRE誌パリ版の「La bibliothéque idéale : le theâtre (理想の図書館—演劇)」の部門で「美しい姉妹」が言及され、「あらゆる時代の演劇に関心のある人が蔵書に含めるべき50冊中の1冊」と称された。

独特のスタイル、多彩な表現方法、世界に対する深い洞察力を持つミシェル・トランブレイ氏は、間違いなく現代の最も重要な作家の一人である。

(I.T.I.パリ本部事務総局)