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ヤコボス・カンバネリス(ギリシヤ・劇作家)
演劇はその存在を決して
演劇の将来についての、この様な楽観的な予想は、何に基づいているのでしょうか?それは、演劇は魂が必要として求めるものであり、人間が失うことのできない欲求であるからです。
今、あなた方にも、私と一緒に、様々に異なる事柄について考えていただきたいのですが、これらは、私が言った先程の言葉を裏付けるものとなりましょう。これからの時代は、人間が月の上を歩いた!などということは昔話に思えるでしょうし、スぺース・シャトルが火星に到着して、火星の土を持ってくる!ということにも、私たちはあまり感激しなくなるでしょう。大きな宇宙航行船が造られて、宇宙観光の人々を運びさえするでしょうし、花嫁花婿が宇宙へ新婚旅行に出かけるでしょう。そういうことが、すでに始まっているのです。今はもう、いくつものスペース・シャトルが惑星の探検に飛び交い、太陽系の最も遠い惑星からさえ、その写真を私たちに送ってくるということが日常茶飯事になっています。
しかしながら、こうした宇宙制覇の時代にも、私たちは劇場へ出かけ、もう一つの宇宙に向き合いつづけています。その宇宙こそ何千年もの昔から存在しており、日時計で時間を計ることがテクノロジーの奇蹟と考えられていた時代からある宇宙です。演劇と人間の関係は時間を超えた永遠の絆なのです。なぜなら、演劇が社会現象として変化してきたとしても、演劇は、まず原始人が自分自身の生活を意識的に記憶し、それをイマジネーションによって表現し、自分の行為を予告し、実現することを創造し始めた時に、自然現象として登場したのです。最初の劇団、あるいは最初の舞台は、人間の精神の中で形づくられるのです。心に描くイメージを現実化させるのは、人間の持って生まれた能力であり、欲求なのです。
皆さんは、私たちの誰もが、例外なく、自分個人の私的な劇場を、私たちが俳優であり、観客である劇場を所有していることに、お気づきでしょうか? 時には自分が、その劇場の俳優であり、演出家であり、舞台装置家でもあることにお気づきでしょうか? いつ、どのようにしてそうなるのか?
何か違ったことをするのでしょうか? いつ興味深い、決定的な出会いの準備がなされるのでしょうか? どこで自分のふるまい方を択ぶことを思いつくのでしょうか? そして私達の想い出はどうでしょう? さまざまな想い出は、私たちの自分一人の劇場の舞台ではないでしょうか? そしてまた、空想はどうでしょうか?
演劇は、決してその存在を
演劇芸術は、このような精神的諸要素で養われているのです。だからこそ、千年、また千年とよみがえり得るのです。人類が愛の当然の果実である子孫を残し続けるであろうかぎり、演劇は存在し続けるでしょう。
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ヤコボス・カンバネリス氏略歴
Iakovos Kampanellis
1922年、ギリシャのナクソス島で生まれる。
1935年、一家はアテネに移り住み、以来、アテネに在住。
若いころは、昼は働き、夜学に通って勉学する。
1940年、第二次世界大戦中、反ナチス抵抗運動に参加。まず中近東へ、次にスイスへ脱出を試みるが成功せず、オーストリアを通過中に逮捕され、マウトハウゼン政治犯強制収容所に入れられる。そこに、1945年、5月5日の連合軍による解放まで収容されていた。
アテネに帰国後、氏は、コロロス・クーンの活動によるギリシャ演劇の全盛時代に出会う。イアコヴォス・カンパネリスは、演劇が、何年にもわたって強制収容所で女性や子どもが死んで行くのを見て来た人間を感動させる力を持っていることに衝撃を受ける。氏は、演劇に参加する決心をする。だが、どのようにか?
氏は語っている「高校を卒業していなかったので、俳優になるための演劇学校に入ることはできなかった。そこで私が決めたことは・・・書くことだ!でした」と。
この決心が良かったのだ.処女作以来、氏の諸作品は認められ、上演された。これまでに氏は、舞台、映画のために50以上の作品を書いている。そして、ギリシャ演劇における氏の影響は、戦後のギリシャ作家たちが“カンバネリス世代”と呼ばれる事実が示すように、大きく、深い。
氏の戯曲は、ギリシャ、および諸外国で上演されており、著作は多くの原語圏で翻訳されている。
ヤコボス・カンバネリス氏は、国際演劇協会ギリシャセンターの名誉メンバーであり、同センターの運営委員会のメンバーである。また、氏は、ギリシャ・芸術・科学アカデミーのメンバーである。
(I.T.I.パリ本部事務総局)