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2004.3.27
ワールド・シアター・デイ メッセージ


ファティア・エル・アッサル (エジプト・劇作家)

 演劇は、全ての芸術の父である.この真実に、いかなる意義もあり得ない.それゆえ私は、私の情熱を唯一演劇に捧げる。

 劇作家は人間の高貴さへの感覚が際立っている。だからこそ、その呼びかけは、戯と美とをして自身を高めさせ、彼らを圧しひしぎ搾取する全てのものから自分を自由にし、人間の尊厳を獲得するために役立つ事が出来るのだと.私は確信している。

 劇作家が、その使命を遂行し、人々に影響を及ぼすためには、作家が自分の仕事と芸術表現のスタイルに完全に精通していなければならない。それ無くしては、作家のメッセージは跡形もなく風に飛び散り、目的を遂げることはできない。芸術作品ならば、それがなんであれ、芸術家のメッセージはつねに、人間の正義、表現の成熟、そして真摯さの感覚と不可分である。これらの要因の一つが他の要因より優先すると考えるのは誤りであろう。

 戯曲作品は、堅固で、無駄をそぎ落した構造と、おしゃべりとは違う、安定した簡潔な対話に基づく芸術だと言われている。また、次のようにも言われている。また、次のようにも言われている:戯曲は女性の性質とは相容れない。女性は、本質的に自我を切り離せないのだから、客観的な見方、表現ができないのだ、と!私はそれに答えて言いたい。女性、9ヶ月のあいだ自らのうちに一つの生命を保つ女性は、彼女自身が劇作家であれば、堅固西て、理路整然とした戯曲を創造することが全面的に可能である、と。

 私は、最初の戯曲『仮面を捨てた女たち』の中での劇中劇のために、現代戯曲で一般的になっている形式を選んだ。私の戯曲は、叫びで、質問で始まって行った.それは私自身が自分を、10年来、それどころか100年ものあいだ自分の中に埋め隠された言葉の伝令と感じていたからなのだ。

 それこそが、私の深奥まで圧しつぶす海の板目が、私の言葉を存在の方へと投げ出すための時なのではないだろうか?私の言葉…情熱…私の子ども…その悲しみの、嘆きの遠い声に耳を傾ける。打ちひしがれ、貶められた一つの声、」そのこだまは、世代から世代へと跳ね返り響いて行く。人間の歴史は、拒絶の、挫折の、そして迫害の重荷を押し上げる意識を持つ。