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『サイプラス・アヴェニュー』参加者レポート


 
○『サイプラス・アヴェニュー』戯曲読解ワークショップ
ファシリテーター:生田みゆき
【日時・内容】
①9月6日(月)18:30~21:30 全体の読み合わせ・疑問の共有
②9月7日(火)18:30~21:30 翻訳者レクチャー、全体の俯瞰
③9月10日(金)18:30~21:30 幾つかのシーンの読み合わせ・ディスカッション
④9月11日(土)18:30~21:30 幾つかのシーンの読み合わせ・ディスカッション/翻訳戯曲の上演についてディスカッション
 


『サイプラス・アヴェニュー』戯曲読解ワークショップに参加して
谷岡健彦

今回、このワークショップに参加した理由は、前回のワークショップがとても楽しかったからということに尽きる。そもそも戯曲をみんなで音読するのは楽しいものだ。声の大きさや間合いの取り方などをちょっと変えるだけで、台詞の意味が違って見えてくることがよくあるが、そうした機会はひとりで黙読しているのではなかなか得られない。しかも、今回取り上げる戯曲は、話題作『サイプラス・アヴェニュー』だという。開催の告知を見て、わたしはすぐに応募した。

実際に参加してみると、期待していた以上に面白かった。台詞を他人が音読するのを聴く楽しさはもちろんのこと、それ以上に刺激的だったのは作品についてのディスカッションだ。俳優や翻訳家、研究者など、いろいろな立場の参加者が忌憚なく意見を述べ、見解を共有できた。それはファシリテーターの生田みゆきの進行が手際よく、作品を読み解くうえでの勘所に関して、うまく参加者から考えを引き出していたからだろう。また、参加者の側でも、より深く、より的確に作品を味わいたいという意識が共有できていて、つねに建設的なコメントを交換できたのはよかったと思う。

初めて、自分がこの戯曲をひとりで読んだときは、主人公の差別的な言葉遣いや暴力的な行動ばかりが目を引き、ただショッキングなだけの劇としか思えなかった。しかし、ワークショップの第一回の議論で、主人公の父親が1940年に戦死しているとなると、この作品における現在とはいつなのかと、ある参加者が疑問を呈してくれたことが、本作への見方を変えるきっかけとなった。

主人公は膨大な台詞を与えられているが、実は肝心なことはほとんど話していない。どうやら、彼が口にすることよりも口にしたがらないことの方に、この戯曲の真の面白さは隠れていそうだ。このワークショップでは、ある参加者が台詞の行間を膨らませて自分なりの解釈を提出すると、別の参加者がその解釈にさらに肉付けをしたり、あるいは軌道修正をしたりするといったかたちで議論が進行した。おかげで、四回のワークショップの後、初回とは段違いの奥行きや深みを戯曲に感じることができるようになっていた。各回3時間の長丁場だったが、毎回あっという間に時間が過ぎてしまい、退屈を覚えたことは一度もない。

このように刺激的で、貴重な機会を設けてくださったITIのスタッフ、翻訳者に感謝したい。ただひとつ今後に向けて提案をするとすれば、翻訳者はどのような方針(訳語や文体の選択など)に則って翻訳台本を作成したかを説明する時間があってもよいと思う。翻訳の段階で、すでに登場人物の造型など作品解釈の方向はある程度、決まってくるからである。
 


ワールド・シアター・ラボ WS を振り返って
(匿名)

戯曲と向き合うときはいつも「解釈は無限」「演出家によって変わる」という前提で読んでいたのですが、今回のWSではそうであったとしても、劇作家があらゆる日常的言語に置き換え、埋め込んだメッセージをいかに拾い上げ、掘り起こし、立体化できるかが本当に大切なのだなと痛感した日々でした。もちろん、たった一つの「正解」があるわけじゃないし、その奥行や幅を生み出すのも俳優の仕事ではあるのですが。

『サイプラス・アヴェニュー』の解釈の中で一番興味深かったのは、エリックのゲイ説。北アイルランド紛争の歴史をいかに学び、作品の舞台とする場所をどれだけ研究したとしても、たどり着けない説です。しかし、戯曲のセリフをたどっていくと、確かにそのように読める。あれほどにホモセクシュアリティをやり玉に上げる理由、「男らしい」キスを男性とした理由、新たに生まれた子どもが女だった時に、エリックが追い詰められてしまったということ。そういったことを踏まえると明らかにその説は濃厚なのに、指摘されるまでちっとも思い至りませんでした。

その視点でとらえると、物語自体も「男性」と「女性」の衝突というふうに見えてきます。暴力を通して、男らしさを担保してくれるユニオニズム。その境界線が壊れた時にも彼に寄り添ってくれる、「アイリッシュ」の中に存在する「男同士の絆」。彼の世界を明確に定義していくのは性器の形であり、女性器に囲まれている今、彼の遠い日のアイリッシュとしての思い出も、ユニオニストとしてのアイデンティティも失われつつある。包容・受容の受け入れという要素の強い女性器から連想するのは「YES」であるのに対し、突撃・硬直といった要素のある男性器から連想するのは「NO」。エリックにとっては誰かに抵抗することこそ、自分に男性器があるということ、自分はまだ去勢されていないのだということの確認作業なのかな、と思いました。

もう一つ興味深かったのは、やはり冒頭シーンをどう捉えるか、ということ。様々な意見が飛び交っていましたが、私は①ベイビーシャワーの日という説と、②すべてが終わった後にエリックが見た幻想という可能性を考えています。結婚式だとエリックが病んでいる期間が少々長すぎてしまう感があり、洗礼式は生まれてからある程度(半年くらい?)経ってから行うものなので早すぎてしまう。また洗礼式だと、彼の病の原因が、赤ん坊がジェリー・アダムスに似ていることと宗教問題に帰結しすぎてしまう感があります。しかしベイビーシャワーだと、ちょうど赤ん坊の性別も分かっている頃ですし、このプロローグの直前に、電話で性別を知らされていても不思議ではないのでは、と思いました。

②の幻想説は、家族全員を殺し終わった彼が椅子に座っていると、まだ結婚したばかりの頃のバーニーの姿を見る、というもの。もしそうだったら、彼には「もう一度この苦しみを味合わなければならないのか」という葛藤が生まれるし、自分がやったことを突き付けられ、その後のブリジットとのシーンに、うまく負荷がかかって演じられるのでは、と思いました。ただ、これからはあくまで、もし自分が俳優として演じるならば、という想像で、いかに冒頭シーンを面白くできるかは、100%作り手にゆだねられているような印象を受けました。そしてだからこそ、この作品の普遍性が担保されているような気がするのです。

改めて、このWSの開催に御礼申し上げます。俳優向けのWSですと、演技向上のための「材料」として台本を扱うことが多く、こういった活発な議論を交わすことはこれまでできませんでした。また、新米翻訳者の私にとっては、先輩翻訳者がどのように戯曲と向き合っているかは、アカデミックな場にいない限りなかなか知れないことなので、とても貴重な機会でした。リーディング上演、およびいつか日本でこの作品が公式な形で上演されることも、心から楽しみにしております。ありがとうございました。
 


『サイプラス・アヴェニュー』戯曲読解WS参加 レポート  
長尾純子

「あーーーーー楽しかった〜!!!」
WS終了直後、思わず声に出してこう言っていました。シンプルですが一番正直な感想です。稚拙な言葉でしか表現できず、レポートとしての任務を果たせるのか甚だ自信がありませんが。以下、「楽しかった」内訳を挙げていきます。

・安心安全であった事
なによりもまず、安心、安全であったことが、この楽しさの根底にあったと思います。誰かに否定されたり、批評される場ではない、というルールを参加者全員が理解し、実践しておられた事。それが体感できたために、のびのびと思考に耽る事ができました。(林さん、柏木さんのご説明と、初日の最初の生田さんのお声がけで、そのルール認識がさらに深まりました。)

・WSのテーマ
翻訳そのものについての議論だけではなかったこと、演技や演出に対しての批評、方法論ではなかったこと、あくまで上演すると仮定して、どのように解釈していくとより面白くなるか、というのがテーマだったことで、そこにいる人達に公平性が生まれ、活発な議論に発展したのだと思います。

・多様な人選
普段の稽古場と違い、他の翻訳家、研究者、アイルランド演劇に詳しい方等々、稽古場ではあまり出会う機会がない方々と、同時に意見交換ができたことが、何よりも面白かったです。解釈の奥行きが変わると感じました。こういった多様な方々と考察するスタイルは、普段の稽古場に是非取り入れて欲しい、日本の稽古場で常態化してほしい!と願ってしまうほどでした。

・本番まで何日、というタイムリミットがなかったこと

・参加者の中に序列がなかったこと

・違う文化圏に演劇を通して触れられる事の素晴らしさ、知らないことを知る楽しさに溢れていたこと

以上、振り返りで皆さんが話されていた内容とさほど変わりなく恐縮ですが、このスタイルの常態化を希望するほどの感動が伝わりましたら、幸いです。コロナ禍という意味においても、安心安全のWSでした。素晴らしい機会をありがとうございました。
 


ワールド・シアター・ラボ 戯曲読解ワークショップに参加して
松浦佐知子

ITIが企画した、このワールド・シアター・ラボ「戯曲読解WS」は、演出家がファシリテーターで、俳優・研究者・翻訳に携わる方・アイルランド演劇に詳しい方など、いろんな分野の方達と一緒に戯曲を深めていくというWSで、とても有意義で非常に面白い4日間でした。特に、研究者・評論家など演劇関係の他ジャンルの方と出会い、共に語り合う機会の非常に少ない俳優にとって、このような場はとても刺激的でした。また、俳優は、いくつになっても学び訓練する必要があります。ITIのこういうWSは、演劇界の活性化、演劇人の学びの場となる、素晴らしい企画だと思います。今後もこういった企画の継続を、是非望みます。

今回の戯曲『サイプラス・アヴェニュー』は、北アイルランドが舞台。北アイルランドの歴史及び現在の状況については、ほとんど知識を持っていなかったので、参加者及び翻訳者の方からのご教授が、とてもありがたかった。この本は、主人公のエリックが、非常によくしゃべる割には、彼の生きてきた歴史はあまり語られない。書かれている言葉をヒントに、推測していくことになる。ここで、他の方たちの教えや、見解がとても参考になった。たくさんの気づきが生まれ、そこから自分の考えを色々と深めていくことができた。

エリックは、ロイヤリスト(プロテスタント)として、生まれてきた。それ以外の考え方は、封印して生きてきた。そうとう抑圧された人生だったのだろう。今までの人生で、たった一夜だけはめを外した夜のことを、こんなに長々と喋っている。

今、北アイルランドは、変化している。娘ジュリーの言う「北アイルランドは、変わった。前に進まねば。」と言う新しい見解を、彼は、どうしても受け入れることができない。エリックは、「偏見がなければ、我々は無になってしまう。差別しなければ、生き延びることができない。」という思いに取り憑かれている。ロイヤリストという自分のアイデンティティーにしがみついている。アイルランドが、前に進もうとしている今、自分の血を引く、自分によく似た孫(子孫)が、この地でこれからも生きていくことに耐えられなかったのか。彼らは、新しい見解を受け入れて生きていくことになるのだから。

しかし、それにしても、自分の最も近い家族、一人は生後5ヶ月の赤ちゃん、を3人も惨殺するとは。よほどすごい抑圧がかかっていて、孫の誕生をきっかけに、何かのスイッチが入って、暴力の衝動につながったということか。

こうやって自分の思索を深めていくことができたのも、今回の参加者のみなさんと一緒に読んだおかげだと思っています。とっても貴重なワクワクする体験でした。機会があれば、またぜひ参加したいと思います。企画立案、運営にあたった皆様、ファシリテーター・翻訳者の方、参加した皆様、本当にありがとうございました。
 


ワールド・シアター・ラボ「海外戯曲の戯曲読解ワークショップ」(『サイプラス・アヴェニュー』)に参加して
西村壮悟

たとえば、オフ・ウェストエンド級の劇場で上演される新作戯曲ならまず出版される英国と違って、 日本では新作戯曲が出版されることはまだまだ少ない。ましてや翻訳戯曲となると、翻訳家や上演団体とのコネクションがないかぎり外部の人間が触れるのはよほど難しい。もちろんそこには権利問題などの事情があるのは分かるのだが「現在」を鋭く切り取った世界中の優れた戯曲に触れられないのはあまりに惜しい。そんななか、国際演劇協会が開催していたワールド・シアター・ラボには興味を持っていた。紛争地域の演劇と同様に、このような企画を開催してくださったことに感謝したい。

4日間参加して「戯曲を通して世界と出会う」という言葉どおりのWSとなったと感じている。北アイルランド問題は私が子どもだったころからたまにニュースで聞いたり、他のアイルランド戯曲を観たときに触れたが、なんとなくしか知らなかったので今回あらためて勉強することとなった。海外に行ってつくづく感じるのは「日本は極東の島国である」ということだ。「極東」という言葉には欧米人の傲慢さが表れているので好きではないが、実際そう呼ばれても仕方ないほどに日本人は概ね内向きだと感じることがある。北アイルランドから物理的・心理的距離のある日本で生きる私が、戯曲の物語や登場人物を通じて(それが極端なケースだったとしても)歴史背景や現在を生きる人たちの思考を知ることができる。

WSでは、生田さんがファシリテーターとして問題提起を絞ってくださったのが限られた時間で進行していくために効果があったと思う。実演家以外の方が参加されていたことも、俳優とはまた違う、劇構造や批評的な視点からの分析を聞けるので視座が増えて有益だった。翻訳した方が参加してくださったのも直接質問をすることができてありがたかった。翻訳家の選択した言葉を大事にしながら原文を当たってみると興味深い発見があった。外国語を過不足なく翻訳するのは難しい。翻訳の過程でどの要素を選択、あるいは削ぎ落すか。そこには単に「誤訳」と言えない、また言葉で明快に説明しにくい感覚的なものがある。また、私たちは作品を扱う際にまず文章として戯曲を読み言葉を認識するが、観客は耳で聞くだけなので果たしてその言葉で理解できるのか、意味が通るのかということはカンパニー全員で柔軟に確かめていくほうが良いと再認識した。 扱った『サイプラス・アヴェニュー』自体も素晴らしいチョイスだったと思う。「これはご当地やロンドンでは(それぞれまた違うだろうけど)めちゃくちゃウケるんだろうな」と思えるほど笑える部分が多く(そしてそれを日本人の私たちが日本人の観客を前に成立させる難しさを考えられる)、それがいつの間にか惨憺たる結末へと転がっていく展開に言葉を失わせるショッキングさを持つ。しかし、その分見過ごしてしまいそうになる「違和感」が構造や登場人物のなかにいくつもある戯曲で、あれこれ考え議論するのに打ってつけだった。

あまり正解にこだわらず「妄想」のような解釈も許容したことはプラスになったのではと思っている。4日間では読解するのにも限りがあるし全てを扱うこともできない。確率が多少低そうな解釈も共有することができると幅が広がり思わぬ収穫が見つかることもある。
 


『サイプラス・アヴェニュー』WS参加レポート
(匿名)

今回『サイプラス・アヴェニュー』戯曲読解WSに参加することが出来て、この作品に出会えて本当に良かったと思っています。台本に目を通す前あらすじを読んだ段階で、恐らくこの作品は自分にとって大きい影響のある作品になるのではないか、上手く説明は出来ないが何となく参加した方がいいのではないかと感じ応募をしました。いざ参加が決まり『サイプラス・アヴェニュー』の石川麻衣さんの翻訳版を開く前、タイトルを目にした時もあらすじを読んだ時感じた、やっぱりこの作品は先々怖い展開が待っているかもしれないなという得体の知れないゾクゾクさを改めて感じたことを覚えています。

普段、戯曲読解はどこかで演じることを前提で読んでおり、読解の正解不正解に関わらず先に決める事に重点を置いて直接的に考えてしまう傾向が強いのですが、今回の戯曲は日本語初翻訳のものを読めるということでこれからブラッシュアップする必要がある本なのだ、これから変わる可能性もあるのだという事実が自分をいい意味で本を読むときも参加するときも気楽にさせてくれて、状態としてはいい方向に導かせてくれて、WS期間中継続して作品に集中する事が出来ました。また、それは他の参加者の方の視点や意見を聞くときも柔軟に耳を傾けてそれぞれ背景や立場の違う方が集まったので、話す内容や視点の違いがあって当然だと、読解が違う可能性も十分あることが当然だと受け入れて学べた気がします。

参加者の解釈の中には個人的に驚いた見解もありましたが、自分と全く違った読み方をされる参加者に対してこの人は何をどう見ているのだろうと興味を持ってお話を聞くことが出来ました。

内容を掘り下げる上でアイルランドと紛争とサイプラス・アヴェニューの場所、シン・フェイン党と、とにかく点を見つけ最終的にテーマや自分自身とどう線に繋げていくか一人で考え、迷っていましたが、実際に石川麻衣さんからお話を聞けて翻訳の意図や他の参加者の解釈を聞けて、原本を読める参加者や石川さんのやりとりを聞いて意味が分かった後に想像が膨らんだことは大きかったと思います。

又、作品の対立を掘り下げるうちに個人的な話ではありますが、どうしても自分のルーツとアイデンティティーの矛盾と直面せざるを得ない感覚に陥りました。そこが一番怖かったと思います。そして宗教、文化風習の背景は異なるがエリックを追うにつれてどんどん自分を見ているようでした。エリックは誰しもが持っている精神の一部分だと思います。この機会にアイルランドをもっと知りたい、アイルランドに実際行って見てみたい、デビット・アイルランドや他作品をもっと読んでみたい等興味を持つことが出来ました。本の面白さが分った瞬間人の想像力は膨らむのだと実際に本を読んでいくうちに変わったことから稽古場でもこういうプロセスで稽古が出来ればなと強く感じました。また機会があれば参加したいです。他の方にも参加して色んな人が参加するともっと良いなと思います。
 


遠藤鮎喜

今までは、役同士の関係性や内面を適切に表現できれば、文化の違いを超えてお客に物語が伝わると信じていました。しかし、それを表現するための知識や読解力がまだまだ足りていないことを今回思い知りました。

北アイルランドの複雑な社会情勢や固有名詞は、少なくとも私にはにはピンと来ないものでした。そして何よりも厄介だったのは、主人公の人格でした。矛盾したアイデンティティーを抱えていて、作者によってわざと語られていない部分も多くありました。 ワークショップでは様々な視点から戯曲を掘り下げることで、物語を深めることができたと思います。新たな解釈が別の解釈を覆すのではなく、それをふまえたうえで更に発展させることができる点にこの戯曲の懐の深さを感じました。

また、掘り下げるほど複雑になっていく人物造形は非常に現代的だと思いました。特に中盤で主人公がひたすら語り続ける場面でそれを感じました。「アイルランドで自分はイギリス人だと主張するプロテスタント」というアイデンティティーはアイルランドのカトリック教徒ともイングランドに住むイギリス人とも対立していて、「この人はこういう人物だ」と断定できず、主人公自身も「自分が何者か」どんどん分からなくなっていく。こういう経験は私達の中にもあるのではないか、差別や偏見を拠り所に生きている人の心の中はこうなっているのではないか。ここにこの物語の普遍性のようなものがあるのかもしれないと、この場面についてのディスカッションをしていて思いました。もっと時間があれば、言葉選びや表現方法についてディスカッションをして、そこでようやく文化の違いを超えた作品作りができたでしょう。

今回、様々な視点から戯曲を読み解く過程に参加でき、ワークショップ前よりも遥かに視野が広がった気がします。とても充実した時間でした。本当に「もっと時間があれば」という点だけが心残りですが、今回学んだことを活かし、一俳優としてより良いものを作れるように精進して参ります。
 


戯曲読解ワークショップ『サイプラス・アヴェニュー』 参加レポート
(匿名)

北アイルランド出身劇作家の話題作が題材ということで、個人的にアイルランドの演劇に関心があるため参加した。10人の参加者は年齢性別や経歴、立場などさまざまで、ファシリテーターの生田みゆきさん、翻訳の石川麻衣さん含め12人で疑問を出しあったり、読み合わせをしたりしながら一つの戯曲に向き合うのは非常に豊かな時間となり楽しめた。

一日目は作品全体を参加者が分担して通して読み合わせを行なったが、この時、実際に読まれているのを聞くことで、一人で事前に読んでいた時には気づけなかった疑問が多く生まれた。さらに二日目以降は、めいめいの疑問を持ち寄って皆で考えたり、戯曲解釈の複数の可能性を検証したりと、議論がより活発になってからはますます面白さが増した。自分が持っていた曖昧なイメージを他人の言葉を聞くことで言語化できたり、あるいは誰かの見解を聞くことで新しい解釈の可能性を思いついたりなど、複数人で読むことの価値を実感した。

例えば『サイプラス・アヴェニュー』の登場人物のうち、スリムというキャラクターがいるが、この人物がどんな存在であるかという点は、一つの大きな問題となった。もともと自分はただの一人の独立したキャラクターとしてイメージしていたが、他の参加者の中から「主人公の別人格説」や「主人公だけに見える空想上の存在説」などが指摘されてはじめて、その可能性について考察を深めることができた。

面白いと感じたのは、このようにワークショップ内で言及された数々の疑問や解釈の方針などについての議論は、「答え」を求めるためのものではなかったということだ。複数人で読む機会はこれまで、上演を前提とした稽古場で、公演関係者内で研究の一貫として議論をしながら読む場がほとんどだった。上演するための読解であるので、決まった俳優がその役を演じる上でのキャラクター造形や、観客に対する姿勢を意識した演出プランなどに影響されて一つの明確な方向性が定められることになる。たとえば先述の「スリムはどういう存在なのか」という疑問は、上演が前提であればいずれかの説が演出方針として採用され、その説を前提とした解釈へと向かう。しかしこの戯曲読解ワークショップではそういった選択をする必要がなく、むしろ解釈の可能性を増やしていくこともあった。これはこのワークショップならではの議論の展開で、戯曲に向き合う形の一つとして非常に価値のあるものだと思った。他の参加者の視点を通しての発見も多くあり、貴重で有意義な体験ができた。