ITIは3月27日を、世界の国々が舞台芸術を通して平和を願う《ワールド・シアター・デイ》とし、1962年から、この日にメッセージを発信しています。
https://www.world-theatre-day.org/
今年のワールド・シアター・デイ・メッセージ
テオドロス・テルゾプロス(ギリシャ) Theodoros Terzopoulos
現代という時代が発しているSOSを、演劇は聴き取ることができているでしょうか。世界中で市民が貧窮し、仮想現実の檻に閉じ込められ、息苦しいプライバシーに固執しています。あらゆる生活領域で管理と抑圧を強いる全体主義的システムの下、人々はロボットのように生きています。
演劇は、環境破壊や地球温暖化、生物多様性の大規模な喪失、海洋汚染、氷床の融解、増え続ける森林火災や極端な気象現象について思考を巡らせているでしょうか。演劇は生態系にコミットできているでしょうか。演劇は長年にわたり人間が地球に与える影響を見つめてきました。しかしそれにどう取り組むかについては苦慮しています。
市民が政治的・経済的な利害やメディアネットワーク、大企業による世論形成に操られるという21世紀に形成された人間の条件に対し、演劇は懸念を持てているでしょうか。ソーシャルメディアはコミュニケーションを促進する一方で、他者から安全な距離を確保しながらも、「コミュニケーションしている」というアリバイを与える道具になっていないでしょうか。他者、異質な者、よそ者への根深い恐怖に、私たちの思考や行動が支配されています。
演劇が差異の共存を目指すワークショップとなりえるとしても、それは血を流しつづけるトラウマを無視して可能なことなのでしょうか。
「血を流しつづけるトラウマ」は私たちに神話の再構築を促します。ハイナー・ミュラー(*)の言葉を借りれば、「神話は凝集体であり、新しく異なる機械【マシーン】を常に接続できる機械である。それはエネルギーを運び、加速を続け、やがて文化の場を爆発させる」と。そして私はそこに「野蛮の場」を付け加えたいと思います。
演劇のスポットライトは、単に自らを注目させるという欺瞞をやめ、社会のトラウマを照射することができるでしょうか。
こうした問いには確定的な答えがありません。というのも、演劇は答えのない問いによって存在し、持続するものだからです。
ディオニュソスが引き起こすこれらの問いは、彼の生誕の地である古代劇場のオルケストラを飛び出し、戦争の風景の中を難民さながら静かに旅しながら、ワールド・シアター・デイの今日、私たちのもとへ届いているのです。
演劇と神話を考えるために、それを司るエクスタシーの神ディオニュソスの眼を見つめましょう。彼は過去・現在・未来をひとつに結ぶ存在であり、ゼウスとセメレーによって2回生まれた子であり、女性と男性、怒りと優しさ、神性と動物性をあわせ持ち、狂気と理性、秩序と混沌のはざまに立ち、生と死の境界を綱渡りする曲芸師です。ディオニュソスは、「一体どういうことなのか?」という根源的かつ存在論的な問いを投げかけます。それは神話の始原の探究、人間という多層的な謎の探究という長い旅路へ創いざなう問いなのです。
私たちは、現代において多面的な姿を見せる独裁的な「新しい中世」から抜け出すため、記憶を掘り起こし、新たな道徳的・政治的責任を形作ることを目指す、新しい物語【ナラティブ】を必要としているのです。
テオドロス・テルゾプロス
*ハイナー・ミュラー(Heiner Müller, 1929-1995):ドイツの劇作家、演出家。代表作に『ゲルマーニア ベルリンの死』『ハムレットマシーン』など。当該箇所は、1988年にドイツシェイクスピア協会(Deutsche Shakespeare Gesellschaft)の総会である「シェイクスピア・ターゲ」でハイナー・ミュラーがおこなった講演から引用されている。
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Theodoros Terzopoulos
テオドロス・テルゾプロス
演出家、教育家、作家、アッティス劇団(Attis Theatre Company)創設者兼芸術監督、シアター・オリンピックス(Theatre Olympics)提案者、シアター・オリンピックス国際委員会委員長
国際的に高い評価を受ける演出家、テオドロス・テルゾプロスは、1945年、ギリシャ北部ピエリア地方のマクリギアロス村で生まれた。1965年から1967年にかけてアテネのコスティス・ミハイリディス演劇芸術学校(Kostis Michailidis School of Dramatic Art)で学んだのち、1973年から1976年までベルリンのベルリナー・アンサンブル(Berliner Ensemble)にて、師であるハイナー・ミュラー(Heiner Müller)をはじめ、マンフレート・ヴェクヴェルト(Manfred Wekwerth)、ルート・ベルクハウス(Ruth Berghaus)、エッケハルト・シャル(Ekkehart Schall)のもとで演出助手を務め、研鑽を積んだ。1981年から1983年には北部ギリシャ国立劇場付属演劇学校(Drama School of the National Theatre of Northern Greece)校長。1985年からデルフォイで行われていた国際古代演劇会議(International Meetings on Ancient Drama)においては約15年にわたり芸術監督として、多くの国際的に重要な演劇人を招聘した。また2005年にはシキオンに国際古代演劇会合(International Meetings of Ancient Drama) を創設し、2011年まで芸術監督を務めた。1990年に創設された、18か国の地中海諸国が参加する国際地中海演劇研究所(International Institute of Mediterranean Theatre)の創立メンバーでもある。
1985年、アッティス劇団を設立。1986年にエウリピデス『バッコスの信女たち』の画期的な上演をする。以来、極限的な身体性と儀式的要素を取り入れることで、古代ギリシャ悲劇の上演方法を根本から変革してきた。
テルゾプロスは、ディオニュソス的エクスタシーの技法を用いて、不可視のものや計り知れないものを顕現させるという演劇概念を創造する。そのアプローチは悲劇的な次元を浮上させ、深淵から生まれる演劇に声を与える。これはあらゆるアカデミックな分類に当てはまらない独自性をもつ、きわめて特異なアプローチである。テルゾプロスはこの手法を古代ギリシャ悲劇だけでなく、さまざまな詩的テクストにも用いる。40年以上にわたって世界中を旅しながら、人間の歴史と展望を探求しつづけ、他者の中に自己自身を見て、他者との遭遇を試みてきたヒューマニストでもある。
過去40年間、テルゾプロスとアッティス劇団は、世界各国の有名な国際フェスティバルや劇場で計2,300回もの公演をおこなっている。ギリシャ国内外において、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスのギリシャ悲劇、オペラ、さらにはブレヒト、ガルシア・ロルカ、ハイナー・ミュラー、サミュエル・ベケット、イプセン、ストリンドベリをはじめとするヨーロッパの代表的な劇作家、そして現代ギリシャの作家による作品を演出してきた。
最新作2作は、長年の研究と創作の集大成として際立っている。『ゴドーを待ちながら』(制作:国立エミリア・ロマーニャ劇場、ナポリ・ベリーニ劇場財団、イタリア、2023年)は画期的な上演であると同時に、ベケットの哲学的省察にきわめて忠実であると評価された。また、アイスキュロス『オレステイア3部作』(制作:ギリシャ国立劇場[National Theatre of Greece]、2024年)は、コロスの役割と機能を本来の姿で復活させ、かつ現代にも通じる意義を示し、古代悲劇の上演におけるひとつの模範として、すでに歴史に残るべきものとみなされている。
テルゾプロスは、演技の基礎を養うための身体訓練と発声訓練を組み合わせた、独自の演技メソッドを考案し、確立してきた。彼のメソッドと古代ギリシャ悲劇へのアプローチは、世界の30以上の演劇学校、研究所、および大学の古典学系の学科で教えられている。彼は国際的な演劇学校や大学の名誉教授を務めるかたわら、世界各地でワークショップやレクチャーを多く実施している。2013年以降は、「テオドロス・テルゾプロスのメソッド――ディオニュソスの帰還」と題する国際サマー・ワークショップを毎年開催し、世界各国から若手俳優や演出家が参加している。
彼のメソッドと作品は著名な演劇研究者たちによって研究されており、ギリシャ語、英語、ドイツ語、中国語、トルコ語、ロシア語、ポーランド語、韓国語、北京語、イタリア語、フランス語、ハンガリー語、ジョージア語、スペイン語、アラビア語で関連書籍が出版されている。そして彼が自身のメソッドを記した著書『ディオニュソスの帰還』は2015年に刊行され、それ以来15言語に翻訳されてきた。また、中国、ポーランド、イタリア、ロシア、コロンビア、ドイツ、ギリシャ、オーストリア、スペイン、アメリカ、キプロスなどで、彼の活動を称える国際会議が数多く開催されている。
シアター・オリンピックスは1994年、テオドロス・テルゾプロスを中心とする国際委員会によってデルフォイにて設立され、創設メンバーとして鈴木忠志、ハイナー・ミュラー、ロバート・ウィルソン(Robert Wilson)、ヌリア・エスペルト(Nuria Espert)、ユーリー・リュビーモフ(Yuri Lyubimov)、トニー・ハリソン(Tony Harrison)といった<ruby>錚々<rt>そうそう</rt></ruby>たる演劇人が名を連ねた。テルゾプロスは1993年から2025年3月現在まで、シアター・オリンピックス国際委員会の委員長を務めている。1995年には、デルフォイで開催された第1回シアター・オリンピックス「クロッシング・ミレニア(Crossing Millenia,千年紀を過ること)」の芸術監督を務め、国際的に活躍し、高い評価を得ている芸術家による作品を招聘した。その後のシアター・オリンピックスは、1999年の日本・静岡、2001年のロシア・モスクワ、2006年のトルコ・イスタンブール、2010年の韓国・ソウル、2014年の中国・北京、2016年のポーランド・ヴロツワフ、2018年のインド(インド各地17都市)、2019年の日本・利賀とロシア・サンクトペテルブルク、そして2023年のハンガリー・ブダペストで開催されている。
革新的な芸術活動と絶えず進化しつづける教育的な取り組み、そして異文化交流の推進によって国内外で高い評価を受ける演劇人として、彼は数多くの賞を受賞しており、主なものとしては、ロルカ賞(スペイン、1986年)、スタニスラフスキー賞・最優秀演出(ロシア、1993年)、トルコ名誉演劇賞(2006年)、フェスティバル・オブ・ネイションズ最優秀演出賞(韓国・ソウル、1994年)、ベスト・アセンブル演技賞(中国・北京、2011年)、ユーリー・リュビーモフ国際演劇賞(2020年)、ウォーク・オブ・フェイム賞(ルーマニア・シビウ、2024年)、およびギリシャ演劇批評・舞台芸術協会の演劇大賞(2024年)などが挙げられる。
詳細は
http://attistheatre.com/en/theodoros-terzopoulos/
(翻訳:荻野哲矢)