shochiku

『家族の配列』参加者レポート


 
〇『家族の配列』戯曲読解ワークショップ
ファシリテーター:EMMA(旧・豊永純子)
【日時・内容】
①12月18日(月)18:30~21:30 目標の共有、翻訳者によるレクチャー、読み合わせ(前半)
②12月19日(火)18:30~21:30 読み合わせ(後半)、ディスカッション
③12月21日(木)18:30~21:30 視点AB、ディスカッション
④12月22日(金)18:30~21:30 視点CD、ディスカッション、振り返り
 


●匿名

濃密な4日間でした。台湾の文化や文学作品、戯曲にかねてから興味があったことに加えて、ファシリーテーターのEMMAさんや翻訳者のE-runさんの演出作品を以前に拝見していたこともあり、最高の組み合わせだ!と、またとない機会と思い参加しました。

初日の読み合わせでは、場ごとに配役を変えてトリプルキャストで読み合わせができたことが、実際の上演の稽古ではなかなかできないことなので、とても嬉しかったです。別々の俳優が演じることで、自分一人で読んでいた時とは全く異なるイメージをそれぞれの役に感じられたり、疑問が少し晴れたり、逆に新しい引っ掛かりを感じられたり、作品がどんどん立体的になってゆくのを感じました。

偶然、台湾の方の参加者さんがいらっしゃったことも、大変ありがたかったです。原文のニュアンスや、現地の文化や、役の人物たちの発言や行動の意味を、翻訳者の方とのダブルの視点で考察したり、お話を伺えたことが、作品を深掘りしてゆく大きな助けになりました。

さらに印象的だったことは、台湾の方の参加者さんが「自分が読んでいた時に当たり前だと思っていたことが、日本のみなさんにとっては疑問に感じられることもあるんだと知れて、新しい発見だった」とおっしゃっていたことです。
生い立ちや国籍に関わらず、自分の”当たり前”に気づいて問い直すことは、演劇を創る上で欠かせない視点なんだと、改めて感じました。

また、翻訳にあたってのお悩みを伺えたことも、興味深かったです。特に日本語に訳す際の女性言葉の扱いについて、みなさんと意見を交わせたことは意義深く感じました。これまで、自分が演じる際に、現代戯曲における「~わ」「~よ」といった女性特有の語尾は、言いづらいことが多く、翻訳はどうにかならないものかなあ、と正直思っていましたが、役の人物がどんなつもりでその言葉を使っているのか、様々な可能性を試すことで、言いづらかったものが自然と言える感覚が芽生えたりしたことが、新しい発見でした。

こういった多角的な視点をみなさんと共有できたことは、シェアしやすい環境を整えてくださったEMMAさんとワールドシアターラボさんのおかげです。陳家と盧家のあたたかさに触れる機会を作っていただき、ありがとうございました。WSは4日間で終わってしまいましたが、今回の時間で感じたことを踏まえて、もっともっと深めていくのが楽しみです。
 


●匿名

前回の『ロッテルダム』を扱うワークショップで、様々な領域で活躍される参加者の方々と戯曲の隅々までを掘り下げられたことに感動し、今回のワークショップにも参加させていただきました。
私にとっては初の台湾戯曲体験でもありました。 戯曲を通じて台湾だけでなく中国との文化の違いや根底にある価値観の特徴を直接的に体感できたように思います。また、参加者の中に台湾出身の方がいらっしゃったため、遠慮なく質問もでき、戯曲の背景についての深い洞察を得ることができました。 

中国でも活動される翻訳者の山崎理恵子さんにもレクチャーいただけたのは、戯曲の理解には欠かせない貴重な時間でした。言葉のニュアンスや文化的背景の違いが浮き彫りになり、台湾と中国の特有の文化や価値観がどのように表現されているかを学ぶことができました。 

『家族の配列』という作品は、間違いなく世界に影響を与える素晴らしい作品であるということも強く実感しましたし、声に出して読む•聞くことで、1人では分からなかった細かなニュアンスがあり、心に響くストーリーがより立体的に浮かび上がったのを感じました。家族、愛、ジェンダーといった普遍的なテーマが、独特な文化的背景を通して描かれており、それを日本語で読むことで作品の深みを増したようにも思います。 

前回に引き続き、海外戯曲を深く理解するための重要なステップとして、また異文化理解の橋渡しとして、ワークショップに参加できたことを大変感謝いたします。複数人の視点からの掘り下げにより、作品の多層的な意味や作者の意図をより深く感じることができ、台湾や中国という隣国の文化や社会の関係性について新たな視点を得ることができました。今後の創作活動においてもこの経験を生かしていきたいと思います。
 


●山下多恵子
海外戯曲の戯曲読解ワークショップ『家族の配列』に参加して

 今回、海外戯曲の戯曲読解ワークショップというものに、初めて参加しました。英語圏の海外戯曲には原文を含め、いくつか触れる機会があったものの、台湾戯曲は初めて。しかも、このようにディスカッションしながら戯曲と、そこに表れる社会背景、人物像、関係性を読み解いていくという作業は初めてでしたが、情報量も多く、大変刺激的でした。

 実は、ワークショップ開始前に一読した時点では、今ひとつ作品の面白味を感じられなかったのですが、演出家、俳優(台湾華語学習者を含む)、翻訳者、台湾出身の参加者など、台湾の言語や社会状況に詳しい参加者を含む、多様な参加者からの指摘や補足情報を得て読み返すと、その度に、登場人物の人となり、人間関係、台湾の今の社会状況における意味合いなどが、まったく異なる形で立ち現れてきて、どんどん解像度が上がっていきました。

 4日間のワークショップの中では、参加者自己紹介などのアイスブレークの後、

 ・翻訳者から、作家の基本情報や台湾事情についての説明
 ・読み合わせ
 ・4人の登場人物それぞれの視点から読み解く
 ・振り返り

というのが主な流れでした。

 「登場人物それぞれの視点で読み解く」作業においては、ファシリテータが、各登場人物の言動をシーン毎に抽出し、提示したものに、参加者が自身の発見を追加提案し、それらに関する意見交換や質疑応答を行う、というものでした。正直、始める前は、その効用がイメージできなかったのですが、やってみると、「ある人物」を軸に、戯曲中で表現されているたくさんの要素が整理され、時間の経過とともに、その人物がどのように変化したか、がとても見えやすくなりました。と同時に、「ということは、〇〇はどうなのだ?」という追加質問も沸いてきて、4日間のワークショップで、謎がますます深まったところもあるのですが、それだけ、人物や物語への理解は深まりました。

 今回、印象的だった話題は、次のとおりです。

【台湾華語と日本語の違いについて】
・一人称の問題
(とりわけ、戯曲の中で性移行手術を経験するトランスジェンダーの登場人物が、いつ、どのような一人称を選択するのか?・・・台湾華語には、性別や年齢による違いが無いため)
・語尾の問題
(「ね」「よ」などの、いわゆる「女言葉」をどこまで使うか?その感覚は、世代によって異なるのか?これも、台湾華語には、日本語ほど顕著な違いがないため)

【イディオム、生活習慣、社会の在り方について】
・葬儀にまつわる習慣について
・同性愛への理解は進んでいるが、トランスジェンダーに対してはまだ抵抗感が強い人も多いという違いがある(もちろん、世代にもよる)。
・台湾の男性は浮気率が高い?という話題
・女性も喫煙者が多い(男女比で大きな違いがないだろうという話)
・市場みたいな名前=よくある名前、ありふれた名前

 また、私自身は地方(京都)からの参加であったためか、ジェンダーに対する感じ方や振る舞いの目の細かさに、良い意味でカルチャーショックを受けました。「地方の人」「その世代」代表のようにまとめられることには抵抗感もありましたが、他の参加者が感じた「違和感」を私は感じなかったことも事実です。世代によって、また、日々暮らす環境や接する情報によって、ジェンダーにまつわる「当たり前」が異なり、私自身の情報や価値観のアップデートが進んでいないのかも知れない、とも感じました。
 自分が「マイノリティに理解がない」側の人たちに、実は結構近いのかも知れないし、今はそうでなかったとしても、気付けば「そっち側」にいたり、そのように扱われたりするのだろう、と思うと、かなりショッキングでした。
 しかし、そういうことも、普段の生活には無いことなので、とても貴重な機会でしたし、「ショック」は「ショック」として発言しても、その後の議論にボチボチ参加できたのは、運営側・他の参加者ともに、オープンで安心できる環境を作ってくださっていたからだろうと思います。

 4日間を通じて、文字どおり戯曲読解が進んだため、この状況で再度、読み合わせを行い、更なる発見や理解につなげたかったのですが、(元々の予定上も)そのような機会がなくて、残念でした。とはいえ、きっと、あと何回読み合わせとディスカッションをしても、その度に発見があり、疑問が沸いて来るのでしょう。どれだけ時間があっても、十分ということは無いのだろうとも思います。

 限られた時間の中でしたが、多様な参加者の誰もが参加しやすく、発言しやすく、それでいて、理解が進む、とてもすばらしいワークショップでした。企画・運営してくださった関係者の皆様に、深く御礼申し上げます。誠にありがとうございました!また、機会があれば、ぜひ参加したいと思っています。
 


●天羽尚吾
性別移行する登場人物の一人称をどのように翻訳するか

 「I」や「我」といった単一の一人称を用いる言語から、多様な一人称が存在する言語に翻訳をするのは、大きく豊かな壁があると実感した。「家族の配列」は、父の訃報を受けて葬儀に参列した三姉弟が、異母姉妹と初めて出会い、交流を重ねる中で、家族や愛とは何かを、現代台湾の日常を通じて映し出す第19回台北文学賞優等賞受賞作品だ。
 今回議論の場に上がったのは末っ子、佳華(ジアホア)の一人称。母方の姓を名乗る事にこだわり、姉とジェンダーアイデンティティを巡って口論し、マイヨガマットを持つ佳華に、どんな一人称を訳すのが適当だろうか。どのような演出で演じるか、そして周りがどう反応するかによっても言葉の意味は変化するが、戯曲での一人称付与は一つの重大なメッセージになり得る。
 本WS用の翻訳では、3場までは「自分」が、豊胸手術中のために不在の4場を挟み、5場からは「私」が用いられた。また、最初の頃は「弟」や「息子」と呼ばれていたが、5場では長女・佳恵(ジアホエ)が「ホワホワは(佳華のニックネーム)自分を女の子だと思ってる。いや、ホワホワは自分を女だと認識している」と言い直すなど、周囲の接し方にも変化がある。既に最新稿では書き換えられているそうだが、1場に一箇所だけ「僕」と自分を呼称する台詞があり、そこを発端に一人称について議論が広がった。手術をしてスカートを履くようになってから、「私」と自分を呼べるようになることへの祝福、一人称を言い直す可能性などの意見が出た。
 時間経過の多い本戯曲の特性として、佳華が姉へカミングアウトしようとする場面から、姉たちに見守られながら手術を受け、葬儀に異母姉妹の母から送られた黒い洋装を着て参加するまでの間が描かれない。観客は行間を読み取りながら想像を膨らませることができるが、昨今のトランスジェンダーを取り巻く差別的発言の多さなどから、誤解を招く表象にならないかと懸念している。
 トランスジェンダーたちが経験する性別移行とは、戸籍や一人称の変更、手術をしたとしても、瞬時に完了するものではなく、「長い時間をかけて、たくさんの困難と向き合いながら生きてゆく性別を変えてゆく」(周司, 高井. 2023)のである。ジェンダーアイデンティティを自覚し認めてゆく精神的な性別移行、髪型や衣服の変更(ト書きで明確になるのは5場)、家族へのカミングアウト(3場)や戸籍の変更(5場で言及される)の社会的な性別移行、そして医学的な性別移行(4場)と、本戯曲内でも多くの経緯が描かれる。5場から装いを著しく変化させたり、言葉遣いを変えたりすることによって、力強いアライ(性的マイノリティの支持者・理解者)であろうとする姉たちに囲まれてようやく自分が快適な一人称を使えるようになったという感動を描写できる一方で、手術をしたという事実が過大評価されかねない。奇しくも4場に出演しない佳華役の俳優は衣装替えやメイクアップをする時間が十分に与えられている。
 トランスジェンダーが登場する戯曲とその翻訳の中で、当事者の実情に真摯に向き合い、観客への誤解を生むことを避けるとするなら、序盤から最後まで「自分」もしくは「私」に統一するか、「自分」「私」「僕」などを、話す相手や佳華の感情を鑑みて混ざり合わせるプランも提案したい。5場で容姿の変化が演出されたとしても、自身のジェンダーアイデンティティと向き合い、揺らぐ様、もしくは意思をもった選択を描くことができるからだ。
 現在の台湾では内政部の布告に従い、性別要件の変更に生殖器の切除が求められている(Ho, C.-H. 2015)。本戯曲が発表された2016年から現在までに、司法院最高行政裁判所(SAC)が上記の布告は「身体的権利、医療的権利、人間の尊厳、および人格の権利を著しく侵害する」(司法院. 2023)と明言した、手術を伴わない戸籍変更を求めたトランス女性が裁判で勝訴する(社運 發電機. 2021)などの進歩があるも、法整備には至っていない。この戯曲で示された李屏瑤による予測は残念ながら的中したが、日本の最高裁が性別変更の手術要件は憲法違反とした(東京新聞.2023)ことも踏まえて、アジアでもトランスジェンダーの生活に寄り添った適切な法整備が進むことが期待したい。
 初読の際には、この戯曲に熱中することは無かったが、今回のWSを通じて、台湾の文化的背景や登場人物それぞれの異なる思惑、変化など、読み解くほどに新たな発見があり、心を揺さぶられた。この作品を上演するにあたり、どのように観客を引き込むのか、日本語で上演する意義を踏まえて、いかに作品が創り上げられるのか、とても興味深い。戯曲の外側に広がる歴史や実情を踏まえた上で、佳華が描かれることを願う。

参考文献
Ho, C.-H. (2015) “Taiwan,” in Scherpe, J. M. (ed.) The Legal Status of Transsexual and Transgender Persons. Intersentia, pp. 425–440. doi: 10.1017/9781780685588.020.
社運 發電機. “【新聞稿】跨性別者小E 性別變更登記成功”. 公民行動 影音紀錄資料庫. 2021-11-19. https://www.civilmedia.tw/archives/106812, (参照 2023-12-24).
司法院. “最高行政法院110年度上字第558號上訴人OOO與被上訴人高雄市鳳山戶政事務所間有關戶籍變更登記事件新聞稿”. 司法院. 2023-9-21. https://www.judicial.gov.tw/tw/cp-1888-947361-0afda-1.html, (参照 2023-12-24).
周司 あきら, 高井 ゆと里. トランスジェンダー入門. 集英社, 2023, 232p.
東京新聞. “性別変更の「手術要件」は違憲  最高裁が初判断 生殖能力なくす性同一性障害特例法の規定【裁判官一覧】”. 東京新聞. 2023-10-25. https://www.tokyo-np.co.jp/article/285891, (参照 2023-12-24).
 


●市原麻帆

固定概念や偏見、差別など物の捉え方について考えることが多いこの頃。自分と違う文化の海外の戯曲ならば、自分の概念の影響を受けずに取り組むことができて面白いのではないかと思い参加した。
実際のところ、自分の意識を取り除くことはできなかった。しかし参加者と意見を交わし合うことで、1人で戯曲に向き合っているときに’ここはこういう意味だろう’と無意識に決めつけていた部分がほぐれ、戯曲の見方が豊かになっていくのをぐんぐん感じた。
参加者それぞれが大切にしていることや興味のあることが会話の中で垣間見えたが、それはこの戯曲の持つ力だと思う。家族という狭いグループの話であるが、登場人物の持つアイデンティティも存分に表現することで社会問題や観劇者の悩みにまでアプローチしている。一度読んだ時には気がつけなかった戯曲の力をワークショップで意見を交わし合うことで見つけることができた。
またリモートならではの良さで海外から、地方から、多様な方々と出会えたことがとても楽しかった。翻訳の意図や台湾の現在まで知ることができ、大変充実したワークショップだった。
 


●五十嵐遥佳
海外戯曲の戯曲読解ワークショップ『家族の配列』感想レポート

 今回参加した理由は、同作品リーディング公演のオーディションに参加した際、部分的にもらった戯曲を読んでよくわからなかった台詞や状況が多くあり、こちらのワークショップへ参加すれば戯曲全文を読むことができ、自分の抱えた疑問が解けるのではないかと思ったためである。そして、実際に参加してみたところ、自分が感じていた戯曲の中の謎が解けただけではなく、それ以上に重要なこの戯曲が持つ本質的な部分に触れることができたように感じた。私がこのように感じた経緯・旅路を言葉で述べてみる。
 まず第一に、ワークショップの導入として、ファシリテーターのEMMAさんから「生まれた疑問や感じたことは話の流れを気にせずに発言してくれて大丈夫」といったような提示があり、オンラインでのやりとりを複数人で進めていく上で生じる不具合を緩和してくれたように思う。ものすごく参加しやすいスタートだった。もちろん、ズーム上での会話の空気感の掴みづらさや話を切り出す難しさはあるのだが、それも含めて発言や存在が肯定された時間だった。
 さらに、参加者の皆様の知見の広さに助けられた。様々な土地・年代・経験から引き出される意見に「そういう見方もあったのか!」「それは知らなかった!」と驚きの連続だった。そして、知らない情報が出てきても、自分の無知を恥じたり責めたりすることはなく、発見を楽しめる空間になっていたように思う。その空間がさらに自分の(おそらく他の参加者の皆様も)好奇心を刺激し、質問と意見が止まらず、時間がもっと長ければいいのにと何度も思った。
 そして、私にとって一番大きく、雷が落ちた、火花が散った、と形容したくなるほどに刺激的だった体験は戯曲全文の読み合わせだ。全員でそれぞれ役割を持って戯曲を声に出して読むと、やはり自分一人で読んでいたときとは全く違った時間が流れ、聞こえる言葉や見える相手の表情、戯曲の展開・言葉に導かれて、本当の意味で『家族の配列』という作品を体感することができた。頭でしかわかっていなかった戯曲の流れや構造を浴びて、登場人物たちの欲求や障害を心から感じることができ、この戯曲の持つとてつもなく優しく温かい愛に触れた。これは私一人ではたどり着けなかった境地だった。正直なところ、オンラインの戯曲読解でこういった体験ができると思っておらずとても驚いた。この読み合わせに参加できたことはとても幸せだ。
 最後に、ワークショップ終了後に今回取り扱った戯曲『家族の配列』とその作者・李屏瑤著の小説『向日性植物』を読み返した。台湾独自の死生観や血の繋がり以上の家族の絆、父の不在、性的マイノリティとそれを取り巻く環境など、作者の描く作品の共通項がたくさん見え、さらにこのワークショップで得た知見によってどんどん作品が面白く感じられるし、素直に心に入ってきやすかった。そして、自分がなにか“レッテル”のようなものを貼り付けて「自分は分かっている」と勝手に安心し、作品に対する理解をやめていたことに気が付いた。「性的マイノリティが描かれているからそのキャラクターは苦労があって大変だ」とか「複雑な家庭で育っていて多くの責任や悲しみがある」とか、私はこの戯曲読解に参加する前はそのような重たいなにかがメインに取り扱われている作品であると決めつけていたのだが、「本当に作者はそういったことを伝えたくて描いたのだろうか」と新しい疑問を持つことができた。もちろん登場人物たちにそういった障壁ははっきりと存在しているのだが、それよりもこの作品が強く提示したいことは、その障壁の大きさというよりむしろそれを吹き飛ばす姉妹の絆、心からの優しさ、温もり、愛、祝福等々、さわやかな風のようなものなのではないだろうか。『向日性植物』でも何度か登場する事件だが、「私たちはこの世界の本質に適合していない」という遺書のもとに1994年、台湾の二人の女子学生が駆け落ちして心中自殺をした事件があったそうだ。それから30年経った今、「世界は前に進んでいる。もう同性愛者が悲しみを背負い込んで自死を選ぶ時代ではない」と、この作品が言っているような気がする。日本でこの作品を上演することは、日本より大分考えや法整備が進んだ台湾から、これからの日本の未来に向けた希望溢れるメッセージになるのではないだろうか。リーディング公演の上演を観られるのがとても楽しみだ。この作品が観られる今に生まれて本当に良かった。