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『原宿ガールズ』参加者レポート


 
〇『原宿ガールズ』戯曲読解ワークショップ
ファシリテーター:西本由香

【日時・内容】
①12月11日(月)18:30~21:30 翻訳者によるレクチャー、作品の社会的・時代的背景など
②12月12日(火)18:30~21:30 作品の構造分析、誰の視点で何のために書かれたシーンなのか
③12月14日(木)18:30〜21:30 声に出して読んでみる、体感を通した読解
④12月15日(金)18:30〜21:30 作ってみる、舞台空間を想定して、美術などを想像してみる、まとめ
 


●イルギ

私は海外戯曲を扱った俳優訓練を6年ほど経験していたので、原宿ガールズ、という現代日本が舞台の海外(の作家によって作られた)戯曲というものに強く惹かれました。
しかし、台本を初めて読んだとき、アニメ好きの外国人が妄想にふけって適当な日本を書いたのか?と落胆しました。
それは日本であって、日本でない断片的に海外の文化が混ざり合った日本。日本の現代戯曲では殆ど見ないスリリングなドラマがそこにはありました。
海外の戯曲はドラマチックでありながらも日常の中にある、そう強くイメージする作品ばかりであったので、こんなの日本じゃないよ、と思いました。
そして、不安を抱えながらワークショップ初日を迎えました。
その不安は懸念で終わりました。
初日、翻訳者の万里紗さんが非常に的確に海外から見た大枠の日本の性的な側面のイメージを解説したことで「海外の(文化)人から見た日本を舞台にした戯曲」になってるんだ!と見方が変わったのです。
彼らの目線がよくわかったことで、彼らの中にある1つの完成された現代日本が浮かび上がってきたのです。
そうなるとこの物語は日本を舞台にしつつも、ファンダジーであり、スリリングなドラマを内包した日本では中々お目にかかることのない戯曲となる。
そこからワークショップで演者を通して肉声に変わると、一層立体的に物語を捉えることが出来ました。
役者として、こんな戯曲に挑戦できる機会があって、それは今後も生み出されていくと考えると興奮が止まらないです。
そんな役者人生をポジティブにしてくれたワールド・シアター・ラボのワークショップに感謝します。
 


●橋本薫子
「原宿ガールズ」戯曲読解ワークショップに参加して

 翻訳劇における自身の戯曲読解力と表現力を向上したいと考え、今回のワークショップに参加しました。
 まず、ワークショップ初日にファシリテーターの西本さんが話されていた「翻訳という負荷がかかるからこそ、飛躍することができる」という言葉に私は感銘を受けました。過去に別の翻訳劇に取り組んだ際、原詞と翻訳の日本語にギャップのある台詞を発する場面があり、どう表現すべきかを悩んだ経験がありました。当時は日本語の制約を壁のように感じていましたが、飛躍するための負荷と捉えることで、より戯曲を理解し、表現のクオリティを向上することが出来るのだと新たな視点を持ってワークショップにのぞむことが出来ました。
 また、翻訳の万里紗さんによるイントロダクションでは、本作品の劇作家の生い立ちから、戯曲内で演劇の装置として取り入れられたオリエンタリズム的なステレオタイプを劇中でどう乗り越えてゆくのかという戯曲構造の解説があり、自分だけでは気づくことの出来なかった作品の核となる構造を理解することができました。劇中の女性たちが「パパ活」「専業主婦」「エレベーターガール」などに従事する描写には、家父長制や女性の社会的立場の低さを感じていましたが、そこに見下しと憧れを含蓄した西洋視点からの東洋を表すオリエンタリズムが関わっているという点には驚きました。オリエンタリズムを「パパ活」「家父長制」「性風俗産業」などの劇中要素に反映させ、それらをステレオタイプとして取り入れ、乗り越えていく。その構造を理解した上で戯曲を改めて読むと、配役や場面展開、ちょっとした言葉の表現の違いにも意味を見い出すことができました。
 2日目以降は、各シーンごとに役を分担して読み合わせをし、テーマをまとめ、気になる点についてはその都度意見を交換し、理解を深めていきました。参加者同士で実際に台詞を読み合わせることで新たな発見があり、人によって気になる点や読み解き方が異なることが戯曲を多面的に捉える良い機会となりました。また、今回の対象作品「原宿ガールズ」は現代の日本をテーマ、作品の舞台としているため、海外劇作家が描く「日本」に、日本で生活する日本人の視点で何を違和感(フィクション)のように感じるか、日本でこの戯曲を上演する際の取り組み方、観客が受け取るものについても考える機会があり、興味深かったです。これは、この作品だからこそ出来た議論だったのではないかと思います。本作品の劇作家フランシス・ターンリィは、他にも日本を題材とした作品を書いており、海外劇作家だからこそ実現可能な鋭くリアルな現代の日本の描写に、演劇のジャーナリズムの側面を感じました。メディアでの言論統制を身近に感じるようになった今、日々発生する世の中の出来事や時事的問題に対しての問題提起の場の役割を、演劇はこれまで以上に担ってくるのではないでしょうか。同時に、現在もなお当事者が生存しているような近現代の社会問題を演劇の題材として扱うことの危険性も感じ、正しく観客に作品のメッセージを投げかけるには俳優をはじめとするクリエイティブ側が慎重に作品に取り組む必要があると考えました。
 今回、俳優、翻訳家、演出家など多種多様な参加者の方々と、様々な角度から戯曲について意見を交わすことができ、非常に学びと発見の多いワークショップでした。同じ戯曲について複数人で意見を交わし深く読み解いていくことはなかなか無い体験だったのでとても満足しています。ぜひまた次の機会があれば参加したいと思います。
 


●谷岡健彦
2023『原宿ガールズ』戯曲読解WS感想

 国際演劇協会が主催する翻訳戯曲の読解ワークショップに参加するのは、これで4回目である。これまでのワークショップがいずれも有意義だったので、今回も告知が出るとすぐに参加申込みをしたのだが、やや気にかかる点もないわけではなかった。テキストとして選ばれた『原宿ガールズ』という作品が、一読したところ、過去に取り上げられた戯曲と比較して形式面でも内容面でも新奇性に欠けるように感じられたからである。東京の女子高生が主人公になっているほかは、とくに目を引くところのない戯曲を数日間にわたって読むことに意義があるだろうかと疑問を覚えたのである。
 しかし、自分の懸念は初回のセッションで払拭された。翻訳者の万里紗さんの作者および作品についての明快なレクチャーのおかげで、自分が読み落としていたところに気づかされたのである。万里紗さんは、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』も援用しながら、日本を含めた東洋を西洋がいかにエキゾチックに表象してきたかを示し、この戯曲はそうした日本に関するステレオタイプをいったんはあえて受け入れつつ、その超克を模索する試みだと解釈された。自分は、本作が日本の特殊性を前面に出すことでイギリスの観客に迎合していると感じられる点に引っかかっていたのだが、万里紗さんのように読めば、見え方はずいぶん違ってくる。
 さらに、作者フランシス・ターンリィが日系の北アイルランド人であることにも興味が引かれた。単純にイギリス人でも、アイルランド人でも、日本人でもない彼の目には、自分の母の出身国である日本はどのように映っているのだろうか。アメリカと日本の双方にルーツを持つ万里紗さんにとっても、この問題は他人事ではなさそうだ。自分が最初に一読したときの印象とは逆に、本作は多様化が進むイギリスおよび日本の切実な社会問題に鋭く切り込む劇に見えてきた。
 初回のレクチャーに続き、2回目以降の場面ごとの読解も実に楽しかった。プロとして舞台に立っている俳優の参加者が多かったのがよかったと思う。技量のある俳優が声に出して戯曲を読むことで、台詞のリズムがくっきりと浮かび上がり、万里紗さんが語尾まで丁寧に計算しながら翻訳されていることがよくわかった。
 なかでも、自分が面白く感じたのは、作中の女子高生たちの笑いである。戯曲にはト書きで指示されているだけなので、ひとりで黙読していると気づかなくなりがちなのだが、彼女たちはとくにおかしなことが起きているわけでもないのに、いや、むしろ笑ってはいられない事態なのによく笑うのである。しかし、この不思議な笑いにはまったく違和感を覚えなかった。東京の女子高生らしい笑いだからである。おそらく、状況が自分たちの手に余るために、もう笑うほかないのだろう。イギリスに住む作者が日本の十代の少女の特徴を的確につかんでいることに驚かされた。
 最後になったが、参加者全員が自由に意見を述べられる雰囲気を作ってくださったファシリテーターの西本由香さん、そして知的刺激に富んだ意見交換の機会を設けてくださった国際演劇協会のみなさんへの感謝の意を記しておきたい。
 


●橋本菜摘
ワールド・シアター・ラボ〈海外戯曲の戯曲読解ワークショップ〉「原宿ガールズ」に参加して 

とにかく有意義でためになる、楽しい時間でした。私は作品を創るとき、いわゆる”読み合わせ”までに、いかに戯曲を読み込んでくるか、声に出して台詞にする準備を整えてくるか、ということに重きを置きがちでしたが、今回は”海外戯曲読解”のワークショップ。今まで1人で孤独に行っていた”読み込む”作業をあえてやめ、内容を大ざっぱに掴む程度に留め、なるべくフラットな状態で参加しようと決めました。俳優として参加する私にとっては、このスタンスはとても良い方向に働いたように思います。理由は大きく2つです。

1、参加した皆さんの意見を新鮮に、興味深く捉えることができたこと
さまざまな肩書きの方が参加するので、それぞれ違った作品読解の角度があり、俳優の自分の見方では見つけられなかった、考えもしなかった方向からの意見がたくさん飛び交っていました。たとえば、「ここの台詞はかなりお堅めの言葉で翻訳されている。原文はどうだったのか?なぜこういう言葉遣いの台詞にしたのか?」など。俳優としては、書いてある日本語の台詞から役を作っていく、という単純な発想になっていましたが、海外戯曲というのは、作者の意図はもとより、翻訳者の意図も大いに組み込まれていることを今さらながら理解しました。”なぜこう書かれて(翻訳されて)いるのか”、そういう視点を得られたのは大きな収穫です。原文への興味はすなわち、ゼロからイチを生み出した作者への興味でもあり、そういう意識を持てた方が戯曲をより一層楽しくめる、作品がもっと好きになる、より深い理解に繋がるのだと、このワークショップで学びました。

2、声に出す、聞いてみることによる発見が多くあったこと
たとえば感情が爆発するセリフがあったとき、しっかり読み込んでしまうとどうしても、そこを沸点と決めて、そこに向けて感情が流れるように読んでしまいがちです。しかし、戯曲に書かれている情報にその都度身を任せることに注力したところ、より戯曲のパワーに気付かされることになりました。たとえば、訳された日本語の文面が、”何かしらの内部の強いエネルギーがないとこれは言えない”と直感させられるものになっていたり、穏やかな調子で書かれている台詞を平和に読んでいたら、書いてあるト書きに激しいギャップがあったり。”この台詞は言いづらい”と思うことさえありました。普段はその台詞を言うために感情の流れを考えるのが常なのですが。正直な感覚的な発見、自分の思考と役の思考のシンプルな相違、私にとってこの過程を経験するのは、とても面白かったです。

最後に、全日程通して、このワークショップが安心安全だったことが、素晴らしいことでした。「私はこう思う」と率直に意見を言うことができるし、「すいません、新しいことに気づきました、さっき言ったことを訂正します。」と言ってもいい。「こうではないか」「いやああではないか」が飛び交うのは、なんと素晴らしい環境でしょうか。ポジティブな人々に恵まれ、とても幸せな環境でした。参加して本当によかったです。ありがとうございました。
 


●下川おかし
ワールド・シアター・ラボ「『原宿ガールズ』戯曲読解ワークショップ」を振り返って  
 

予習の時(偏見に満ちた先入観というか、無責任な予断)
◇作者フランシス・ターンリィをこのワークショップが始まるまで、何故か女性だと思い込んでいた。(初日、西本さんが「彼」というのを聞いて、ものすごく驚いたのだが、ものすごく驚くくらい女性だと思い込んでいたのは、なぜだろう)
◇万里紗さんの翻訳は読みやすく、日本語の脚本として生き生きと書かれていて感心した(偉そうに聞こえたらごめんなさい)私は病的なくらい英語がわからない(関係ないが、それにはきっと理由があるはずだと探し続けて半世紀)そのせいで、妙なところで違和感をおぼえてしまった。たとえば、「オカダ氏」「オカダ夫人」、日本人の書く戯曲にはあまり見かけないので。ただ「オカダ夫人」とされることにこの戯曲では大きな意味があるので、逆に違和感があってよいのかとも思う。
◇一読して、これは苦手な話だと、困った。AV(見たことがない)とか、昔の日本映画、繁華街の裏のジメジメした環境で、血とか唾とか涙とか、いろんな体液の匂いがする感じの、独特の美学のある男性監督の作品、みたい(わかりにくいですね、出てくる女性はほぼ半裸で、大事にされていないような)だというぼんやりとした印象を抱いた。

終わってみて(好奇心がとまらなかった)
◎面白かった。この戯曲が「変な感じ」ということを皆さん感じているのだという事、そこを受け入れながら読み進むと「妙なおかしさ」が感じられるという発見があった。ファシリテーターの西本さんが、参加募集の際にこの戯曲について「それは現実感があるようでないような、ふわふわとした奇妙なリアリティをもって迫ってきます。」と書いていたのはこのことだったのか! 
◎グウェン・ステファニーのアルバム『ラヴ.エンジェル.ミュージック.ベイビー.』(2004)を聴いた。かっこいい(古い?)って思った、これは好きだ。そして『原宿ガールズ』ポップでいい。いいもの聴いたなあ、といい気分になった。(余談だが、”Harajuku Girls”をライナーノーツでは「原宿ガールズ」と翻訳している、原盤のリーフレットの挿絵(Shinjuko)には「原宿少女隊」とあり、「翻訳」の創作性について考えてしまった)
◎橋口いくよ『原宿ガール』(2008メディアファクトリー)を読んだ。一気に読める面白さだった。 32才の主人公が17才と年齢を偽り、「原宿ガールズ」というグループのメンバーとしてアイドルになる話、ぶっとんだ設定なのに、リアルな小説でした。「原宿ガールズ? グウェン・ステファニーの?」というくだりがあって、小説は、現実と虚構が混ざっても不自然な感じがしない、と思う。ばれたら大変というサスペンスが物語に緊張感を与えつつ、アイドルって、女の子の夢って、年齢って、何だろうと考えさせられる、一方で、恋愛至上主義をかわして背を向けたハッピーエンドが爽快。 戯曲『原宿ガールズ』のマリ、ケイコ、ユミのなりたいもの、夢、理想、は一体何なのだろう、とあらためて考えた(ちなみに、この小説の主人公の本名は「弥代子」、古くさくて使えないからという理由で「ちえり」という芸名を付けられる。グループのホントに10代の少女たちは本名がそのまま使えるというところがミソ)
◎『セーラームーン・クリスタル』#12まで進んだが、セーラー・サターンは出てこない。検索して調べるも引き合いに出される設定や登場人物がさっぱりわからないから結局セーラーサターンのことはわからない。チバ氏はきっと、この荒唐無稽な設定を熟知しているのだろう。そのおタクぶりを台詞でえんえんと語らせたら面白いかも、と私は思うが、ターンリィ氏にはそういう趣味はなかったみたい。セーラー・ムーンというお話が、月の女王と地球の王子の恋愛物語、という想像を絶する規模のもので、敵は王子を恋しく思っていたのに、月から来た女に取られてしまった嫉妬に駆られる一人の女が化けた物の怪だった、そこは小さい。毎回毎回長々と見なければならない変身シーンに食傷してなかなか先にすすめない。全38話。27話でセーラー・サターンが出るかもしれない、私にそこまで観られる忍耐はあるのか。セーラー・ムーンこと月野うさぎという中学生がタキシード仮面こと地場衛に恋をして結婚を夢見る、という・・・日本の女の子たちは、わたし(65才)を含め、何年も何十年もこういう「夢」をみせられてきたのだと思う。ミスリードとしか言えない。

戯曲『原宿ガールズ』
☆「ミヨコ・コバヤシ」 のこと。作者フランシス・ターンリィは、たぶん1975年生まれなので、(検索して出てきたインタビュー記事にあった年齢で算出)この作品が上演された2015年は40才、(現在は48才)でしょうか、その親は20~30才年長と推測するとご両親は1945~1955年当たりに生まれた団塊世代なのかもしれません。オカダ夫妻の描写はこの世代の人の感じがします。加えて父親としてのオカダ氏には「ミヨコさんの父(作者の祖父)」が投影されているのかもしれない。
☆オカダ夫妻が団塊世代っぽいので、この話は1985~1990年の「現代」が舞台としたらどうだろう。作者自身が18才だった頃。『美少女戦士セーラームーン』が初めてオンエアされたのが1992年。(ただし、セーラーサターンが登場するであろう『クリスタル』のオンエアは2014年)
 


●匿名
「原宿ガールズ」ワークショップレポート

翻訳に携わる方々の言葉の選び方の違いも知る事が出来る、普段の稽古では出来ない貴重な場で、言葉の強さというものを改めて感じた日々でした。
いつもは訳された脚本が全てで、訳者の意図が入った状態で言葉と向き合うのですが、原文だとこういう意味だと知る事で、ずいぶん解釈が変わり、同じ本なのに、見え方が変わる事がとても面白いなと思いました。と同時に、訳されたその言葉からは、原文の意味にたどり着くのは難しいなと思うところもありました。
でも、誤読も含めて、演じる為に読むというより、まっさらな状態で戯曲と向き合う事で、参加者の人生が、より戯曲の解釈に影響していて、とても面白かったです。
あと、まだ正解や答えを出そうとしない状態で、どういうシーンなのかとディスカッションする事で、自由に開けた場になって、皆様のいろんな捉え方を楽しめた事も、とても素敵な時間でした。

古典と違い、訳されたばかりで、先入観の無い状態で作品に出逢える事は、戯曲を読解する上で、可能性が広がって、すごく豊かな経験でしたし、言葉の面白さを考えさせられる時間でした。

また是非、参加したいです。

ありがとうございました。
 


●川口真実

私はよく洋画や海外ドラマを見ます。それらの作品の多くはアメリカやイギリスなど海外の国々が舞台となっていますが、登場人物が日本を訪れるシーンが含まれる作品もあります。大抵の場合、そのような作品で描かれている日本の姿は日本人の私たちが普段目にしているものとはかけ離れたもので、違和感を覚えることが多々ありました。
そういった違和感を私たちに与えるような作品であるかどうか。それが、今回WSで取り扱った作品を初めて読む前に私が考えたことです。作者は北アイルランド出身で、日本から離れて暮らしている方なのだから、日本のことはあまり知らない方かもしれない。けれども、お母様が日本人である方だから、日本にルーツを持たない海外の方と比べたら、日本の話を耳にされている可能性も高い。果たして、彼は日本に対してどのような印象を持っているのだろうかと、興味を引かれました。
結論から言うと、この作品に描かれているのは昔の日本であるような気がして最初は戸惑いました。オカダ氏のように子どもの夢に反対する親は現在でもいるでしょうけど、ユミの父親のように腰掛けの仕事を用意し、専業主婦になることこそ女の幸せなのだと娘に強いるような親は減っているのではないか、この作品に描かれているほど明確な家父長制はなくなっているのではないかと考えました。
ですが、1日目のレクチャーの際にこの作品で描かれているのはステレオタイプから脱出する女性だと聞き、作者が意図的に家父長制を描いたと知って、より興味深い作品だと考えるようになりました。これは日本らしき場所が舞台となっているファンタジーだと伺い、見方を変えれば、日本人の私たちも楽しめる作品だということに気が付きました。このような発見は一人で読んでいる時にはできなかったことで、参加者の皆さんとの意見交換によって気がつけたことなので、WSに参加するとより作品の楽しみ方が分かるようになるものだなと改めて感じました。
話し合いを通じ、この作品はファンタジーでありながらも、日本の姿をしっかりと捉えている部分もあることに気がつけました。特にオカダ夫人がバレエダンサーを目指していたのに、断念した話というのは、作者の母親の実体験から着想を得た話であるかもしれないという意見を出された方がいらっしゃって、大変興味深く思いました。その意見を聞いて、この作品は日本人ではないけれども、日本にルーツを持つ作者だからこそ作れたものであると実感し、作品の面白さにさらに気づけました。
また、意見交換の際には私が一人で読んだ時にはさらっと読んでしまった箇所に疑問点を感じられる方もいらっしゃったことが興味深かったです。その部分に関して意見交換をしていくと、私が考えていた以上の意味を持つ台詞だったと判明することもありました。ちょっとした台詞にも重大な意味が込められているなんて、この作品は奥深いなと思いました。
このようにWSを通して様々な発見ができたこと、大変感謝しております。誠にありがとうございました。これからも今回の学びを生かし、戯曲を読んでいけたらと思います。