2017年:イザベル・ユペール
またこの日がめぐってきました。ワールド・シアター・デイは、毎年春に開催されて55年目を迎えます。この一日、つまり24時間は、能と文楽の傍らではじまり、京劇とカタカリを経由して、ギリシャとスカンジナビアの間でアイスキュロスからイプセン、ソフォクレスからストリンドベリを、イギリスとイタリアの間ではサラ・ケインからピランデッロをゆっくりとたどります。そして私たちがいるフランス、世界で最も多くの外国のカンパニーを受け入れているパリでは、とりわけ長居をするでしょう。それから私たちの24時間は、フランスからロシアへ、ラシーヌやモリエールからチェーホフへと私たちを運んでくれ、大西洋を渡って、最後にカリフォルニアの大学のキャンパスにたどり着きます。そこでは若い人たちが新しい演劇を創造しようとしているかもしれません。演劇はつねに自らの灰から蘇るものだからです。演劇とはたえず棄却されるべき約束事です。だからこそ演劇は生き続けているのです。演劇には、時空のへだたりをものともしない、あふれるような生命が宿っています。もっとも同時代的な作品も数世紀にわたる記憶によって培われ、もっとも古典的な演目は上演のたびに現代の作品へと生まれ変わるのです。
ワールド・シアター・デイは、私たちの日常の平凡な一日ではありません。その一日は途方もない時空間に再び命を与えてくれます。時間と空間について考えるため、フランスの劇作家、才気煥発で慎み深いジャン・タルデューに助けを求めましょう。空間についてタルデューは、「ある地点からもう一つの地点へのもっとも長い道のりは?」と尋ねます。時間については、「
1964年のワールド・シアター・デイでローレンス・オリヴィエは、1世紀以上の苦闘の末、ついにイギリスに国立劇場が誕生したと告げました。オリヴィエはすぐにこの国立の劇場を世界劇場にしたい、上演するレパートリーだけでも国際的なものにしたいと考えました。シェイクスピアは世界中すべての人々のものだということがよくわかっていたのです。
1962年の最初のワールド・シアター・デイメッセージを発信したのがジャン・コクトーだったと知ってうれしく思いました。『80日間世界一周――私の初めての旅』を書いたコクトーにふさわしいではありませんか。私も80の舞台や80の映画に出演し、彼とは別のかたちで世界中を旅しました。「映画」と言いましたが、私にとっては舞台で演じるのも映画で演じるのも変わりはありません。こう言うといつも驚かれるのですが、そうなのです。違いはありません。
いまここで話している私は、私自身でもなければ、一人の女優でもありません。私は、これまで演劇を存在させ続けてきた多くの人々の一人にすぎません。しかしこれは私たちの義務でもあります。私たちに必要なことなのです。なんといえばいいのか、私たちが演劇を存在させているというよりも、むしろ演劇のおかげで私たちが存在しているのです。演劇はとても強く、戦争、検閲、資金不足などあらゆるものに耐え、生き抜きます。「装置はなにもない舞台で、時代も特定しません」と告げ、男優あるいは女優を一人、そこに登場させるだけでいいのです。彼はなにをするでしょう? 彼女はなにを言うでしょう? 彼らはなにかを語るでしょうか? 観客が待っていて、やがて答えを知ります。観客がいなければ演劇は存在できません。このことは決して忘れないでおきましょう。観衆のうちのただ一人、その一人も観客です。しかし空席はあまり多くない方がいいですね! イヨネスコだけは例外ですが……『椅子』の最後、だれも座っていないたくさんの椅子を前に、老婆は、「ええ、ええ、栄光の絶頂で死にましょう……死んで伝説となるのです……少なくともうちの前の通りに私たちの名前がつくでしょう……」と言うのですから。
ワールド・シアター・デイは55年目を迎えますが、55年間でメッセージの発信 ――私のこのスピーチが“メッセージ”と言えるかわかりませんが―― が女性に依頼されたのは私で8人目です。私の前任者たちは(男性が圧倒的です!)演劇の想像力や自由さ、その起源について語り、多文化主義や美しさなど答えのない問題を提起してきました……。2013年、ほんの4年前にダリオ・フォはこう言っています。「危機に対する唯一の解決策は、私たちへの、とりわけ舞台芸術を学びたいと欲する若者たちへの大々的な魔女狩りを望むことにある。ディアスポラのような新たな俳優たちが誕生し、新しい表現方法によってこの束縛状態から思いもよらない利益を引き出すかもしれない」。「思いもよらない利益」とは、選挙のパンフレットに出てきそうな言い回しではないですか? 私のいるパリはいま大統領選の直前ですから、私たちを統治したがっている人たちには、演劇がもたらす「思いもよらない利益」についてよく考えてほしいと思います。もちろん魔女狩りはごめんです!
私にとって演劇とは、他者であり、対話であり、憎悪の不在です。民族宥和についての専門知識はありませんが、観客と俳優による共同体と友情を信じています。演劇によってつながった人々、書く人、訳す人、照明を当てる人、衣裳を作る人、装置を作る人、演じる人、演劇を生み出す人たちと劇場に足を運ぶ人たちの結びつきを信じています。劇場は私たちを保護し、かくまってくれます……。私は、演劇が私たちを愛してくれていると強く信じています……私たちが演劇を愛するように……。一人の年老いた、昔気質の舞台監督のことを思い出します。彼は幕が上がる前に舞台袖で、引き締まった声で毎晩こう言っていたものです。「さあ芝居の出番だ!」これを最後の言葉にしましょう。みなさん、ありがとう。
***
Isabelle Huppert
フランス国立東洋言語文化研究所(INALCO-Institut National des Langues et Civilisations Orientales)でロシア語を学ぶかたわら、国立演劇芸術高等学校(École Nationale Supérieure des Arts et Techniques du Théâtre)、およびフランス国立演劇学校(Conservatoire National d’Art Dramatique)に通い演技の修養を積む。両校では、ジャン=ローラン・コシェ(Jean-Laurent Cochet)、およびアントワーヌ・ヴィテーズ(Antoine Vitez)に師事した。
*
銀幕デビューを果たして間もなく注目され、ベルトラン・ブリエ(Bertrand Blier)監督作『バルスーズ(Les Valseuses)』、リリアンヌ・ド・ケルマデック(Liliane de Kermadec)『アロイーズ(Aloïse)』、ベルトラン・タヴェルニエ(Bertrand Tavernier)『判事と殺人者(Le Juge et l’assassin)』などに次々と出演。クロード・ゴレッタ(Claude Goretta)『レースを編む女(La Dentellière)』で見せた演技で英国アカデミー賞(BAFTA-British Academy of Film and Television)「期待のホープ」賞を受賞。そしてクロード・シャブロル(Claude Chabrol)監督と出会い、彼のもとでさまざまなジャンルの作品に挑戦した。喜劇『最後の賭け(Rien ne va plus)』)、ドラマ(『主婦マリーがしたこと(Une affaire de femmes)』)、フィルム・ノワール(『甘い罠(Merci pour le chocolat)』)、文芸映画(『ボヴァリー夫人(Madame Bovary)』)、さらには政治もの(『権力への陶酔(L’Ivresse du pouvoir)』)まで。そしてシャブロル監督作品で数多くの映画賞を受賞した。『ヴィオレット・ノジエール(Violette Nozière)』ではカンヌ国際映画祭女優賞、『主婦マリーがしたこと』でヴェネツィア国際映画祭女優賞、『ボヴァリー夫人』でモスクワ映画祭女優賞。『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇(La Cérémonie)』ではヴェネツィア映画祭女優賞とセザール映画祭主演女優賞を獲得した。
ユペールとともに作品を手がけた監督は数多く、ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)、アンドレ・テシネ(André Téchiné)、パトリス・シェロー(Patrice Chéreau)、モーリス・ピアラ(Maurice Pialat)、ミヒャエル・ハネケ(Michael Haneke)、ラウル・ルイス(Raoul [Raúl] Ruiz)、 ブノワ・ジャコー(Benoit Jacquot)、ジャック・ドワイヨン(Jacques Doillon)、 クレール・ドゥニ(Claire Denis)、さらにクリスチャン・ヴァンサン(Christian Vincent)、ローランス・フェレラ・バルボザ(Laurence Ferreira Barbosa)、オリヴィエ・アサイヤス(Olivier Assayas)、フランソワ・オゾン(François Ozon)、アンヌ・フォンテーヌ(Anne Fontaine)、エヴァ・イヨネスコ(Eva Ionesco)、ヨアヒム・ラフォッス(Joachim Lafosse)、セルジュ・ボゾン(Serge Bozon)、カトリーヌ・ブレイヤ(Catherine Breillat)、ギィヨーム・ニクルー(Guillaume Nicloux)、サミュエル・ベンシュトリ(Samuel Benchetrit)らフランス語圏の映画監督のほか、マイケル・チミノ(Michael Cimino)、ジョゼフ・ロージー(Joseph Losey)、オットー・プレミンガー(Otto Preminger)、タヴィアーニ兄弟(les frères Taviani)、マルコ・フェレーリ(Marco Ferreri)、ハル・ハートリー(Hal Hartley)、デヴィッド・O・ラッセル(David O. Russell)、ヴェルナー・シュレーター(Werner Schroeter)、アンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda)、さらにリティ・パニュ(Rithy Panh)、ブリランテ・メンドーサ(Brillante Mendoza)、ヨアキム・トリアー(Joachim Trier)、ホン・サンス(Hong Sang-Soo)ら、国際的に活躍する監督たちもいる。
ヴェネツィア国際映画祭は、パトリス・シェロー監督『ガブリエル(Gabrielle)』での演技、およびその女優としてのキャリア全体に対して審査員特別金獅子賞を贈った。
カンヌ国際映画祭では2度女優賞を獲得しており(2度目はミヒャエル・ハネケ監督『ピアニスト(La Pianiste)』)、第62回同映画祭ではセレモニーの司会および(コンペティション部門の)審査委員長を務めた。
*
映画と並行して、フランス国内外で舞台作品にも数多く出演しており、ともに仕事をした演出家にロバート(ボブ)・ウィルソン(Robert [Bob] Wilson、ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』、ハイナー・ミュラー『カルテット』)、ペーター・ツァデク(Peter Zadek、ウィリアム・シェイクスピア『尺には尺を』)、クロード・レジ(Claude Régy、サラ・ケイン『4.48サイコシス』、ポール・クローデル『火刑台上のジャンヌ・ダルク』)らがいる。アヴィニョン演劇祭で上演されたジャック・ラサル(Jaques Lassalle)演出による『メディア』(エウリピデス原作)、エリック・ラカスカード(Eric Lacascade)演出『ヘッダ・ガブラー』(ヘンリク・イプセン原作)ではタイトル・ロールを演じた。また、オデオン座のクシシュトフ・ヴァルリコフスキ(Krzysztof Warlikowski)演出・翻案『アン・トラムウェイ(Un Tramway)』(テネシー・ウイリアムズ『欲望という名の電車』に基づく)はヨーロッパおよびワールドツアーを行い、シドニー・シアター・カンパニー(Sydney Theatre Company)製作の『女中たち(The Maids)』(ジャン・ジュネ原作)はベネディクト・アンドリュース(Benedict Andrews)演出でケイト・ブランシェットと共演し、リンカーンセンター・フェスティヴァル参加作品としてニューヨーク・シティセンターで上演した。オデオン座で製作されたリュック・ボンディ(Luc Bondy)演出『偽りの告白(Les Fausses Condidences)』(ピエール・マリヴォー原作)もヨーロッパツアーを行った。今シーズンは、ヴァルリコフスキ演出『フェードル(ズ)(Phèdre(s))』(ワジディ・ムワワド、サラ・ケイン、J・M・クッツェーのテキストによる)の主演を務め、やはりオデオン座での初演ののち、ヨーロッパツアーとワールドツアーを行った。
*
最近、出演作の公開が続いている。ミア・ハンセン=ラブ(Mia Hansen Love)監督『未来よ こんにちは(L’avenir)』、パスカル・ボニゼール(Pascal Bonitzer)『すぐに、今(Tout de suite maintenant)』、そして2016年度カンヌ国際映画祭にノミネートされているポール・ヴァーホーヴェン(Paul Verhoeven)『エル(Elle)』、バヴォ・ドフュルヌ(Bavo Devurne)『思い出(Souvenir)』。2017年にはミヒャエル・ハネケ監督との4本目の作品『ハッピー・エンド(Happy End)』とセルジュ・ボゾン監督『マダム・ハイド(Madame Hyde)』が公開予定。また近年はアメリカの映画賞を受賞することも多い。特に『エル』ではゴッサム賞ならびにゴールデン・グローブ賞ドラマ部門の女優賞を受賞したうえ、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
*
フランス政府レジオン・ドヌール勲章オフィシエ、フランス国家功労勲章オフィシエ、芸術文化勲章コマンドゥール受章。
翻訳:田ノ口誠悟 Translation:Seigo Tanokuchi
● 歴代のワールド・シアター・デイ・メッセージ発信者
2017 |
イザベル・ユペール |
俳優 |
フランス |
2016 |
演出家、教育者 |
ロシア |
|
2015 |
演出家 |
ポーランド |
|
2014 |
劇作家、デザイナー、演出家、インスタレーション・アーティスト |
南アフリカ共和国 |
|
2013 |
劇作家・演出家・俳優 |
イタリア |
|
2012 |
俳優 |
アメリカ |
|
2011 |
劇作家・俳優・演出家 |
ウガンダ |
|
2010 |
俳優 |
イギリス |
|
2009 |
演出家・作家 |
ブラジル |
|
2008 |
演出家・劇作家・俳優 |
カナダ |
|
2007 |
シャルジャ首長・歴史家・劇作家 |
アラブ首長国連邦 |
|
2006 |
劇作家 |
メキシコ |
|
2005 |
演出家・太陽劇団創立者 |
フランス |
|
2004 |
劇作家 |
エジプト |
|
2003 |
劇作家 |
ドイツ |
|
2002 |
劇作家・俳優・映画監督 |
インド |
|
2001 |
詩人・小説家・劇作家 |
ギリシャ |
|
2000 |
劇作家・小説家 |
カナダ |
|
1999 |
ヴィグディス・フィンボガドゥティル |
アイスランド第4代大統領 |
アイスランド |
1998 |
ユネスコ創設50周年記念メッセージ |
― |
― |
1997 |
キム・ジョンオク |
演出家・劇団自由創立者 |
韓国 |
1996 |
サーダッラー・ワッヌース |
劇作家 |
シリア |
1995 |
ウンベルト・オルシーニ |
演出家・劇作家 |
ベネズエラ |
1994 |
ヴァーツラフ・ハヴェル |
劇作家・チェコ共和国初代大統領 |
チェコ |
1993 |
エドワード・オールビー |
劇作家 |
アメリカ |
1992 |
ジョルジュ・ラヴェリ |
演出家 |
フランス |
1992 |
アルトゥーロ・ウスラール=ピエトリ |
小説家・作家・政治家 |
ベネズエラ |
1991 |
フェデリコ・マヨール |
ユネスコ第7代事務局長 |
スペイン |
1990 |
キリール・ラヴロフ |
俳優 |
ロシア |
1989 |
マーティン・エスリン |
演劇批評家 |
イギリス |
1988 |
ピーター・ブルック |
演出家 |
イギリス |
1987 |
アントニオ・ガラ |
詩人・劇作家・小説家 |
スペイン |
1986 |
ウォーレ・ショインカ |
詩人・劇作家 |
ナイジェリア |
1985 |
アンドレ=ルイ・ペリネッティ |
演出家・ITI事務局長 |
フランス |
1984 |
ミハイル・ツァレフ |
俳優・演出家 |
ロシア |
1983 |
アマドゥ・マハタール・ムボウ |
ユネスコ第6代事務局長 |
セネガル |
1982 |
ラーシュ・アフ・マルムボリ |
指揮者 |
スウェーデン |
1981 |
各国センターからのメッセージ |
― |
― |
1980 |
ヤヌシュ・ヴァルミンスキ |
俳優 |
ポーランド |
1979 |
各国センターからのメッセージ |
― |
― |
1978 |
各国センターからのメッセージ |
― |
― |
1977 |
ラドゥ・ベリガン |
俳優 |
ルーマニア |
1976 |
ウジェーヌ・イヨネスコ |
劇作家 |
フランス |
1975 |
エレン・スチュワート |
ラ・ママ実験劇場創立者・プロデューサー |
アメリカ |
1974 |
リチャード・バートン |
俳優 |
イギリス |
1973 |
ルキノ・ヴィスコンティ |
映画監督 |
イタリア |
1972 |
モーリス・ベジャール |
振付家 |
フランス |
1971 |
パブロ・ネルーダ |
詩人 |
チリ |
1970 |
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ |
作曲家 |
ソビエト連邦 |
1969 |
ピーター・ブルック |
演出家 |
イギリス |
1968 |
ミゲル・アンヘル・アストゥリアス |
小説家 |
グアテマラ |
1967 |
ヘレーネ・ヴァイゲル |
俳優・ベルリーナー・アンサンブル創立者 |
東ドイツ |
1966 |
ルネ・マウ |
ユネスコ第5代事務局長 |
フランス |
1965 |
匿名のメッセージ |
― |
― |
1964 |
ローレンス・オリヴィエ |
俳優 |
イギリス |
1964 |
ジャン=ルイ・バロー |
俳優・演出家 |
フランス |
1963 |
アーサー・ミラー |
劇作家 |
アメリカ |
1962 |
詩人・小説家・劇作家 |
フランス
|