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2018.3.28
ワールド・シアター・デイ メッセージ


 

2018年:ワールド・シアター・デイ・メッセージ


ある日
一人の人間が鏡(観客)の前で自らに問いかけることにした
そして同じ鏡(彼の観客)の前で問いに対する答えを生み出し
自らを批評し、自らの問いと答えを茶化し
笑ったり泣いたりし、ともかく最後には
眼前の鏡(彼の観客)に挨拶することにした
緊張と安らぎのひとときを与えられたことに
頭を下げ、相手に感謝と敬意を示した……
心の奥底で、彼は平和を求めていた
自らと、そして彼の鏡との平和な関係を
彼は演劇を実践していた……
 
その日、彼は喋っていた……
自分の欠点、矛盾点や歪んだ部分は無視して
物まねや大げさな身ぶりで
人間としての自分の心の狭さや
大事を招く狡猾さを激しく非難した
彼は自分に対して喋っていた……
押し寄せる高揚感のなかで、自らをたたえた
自分自身の思考から生み出し
自らの手で作り出せたであろう偉大さや美しさ、
より良い存在やより良い世界を求めて
たとえ相手が鏡に映る自分でも、彼は望みを語った
自分と鏡の望みが同じであれば……
だが彼は、自分がやっているのは
滑稽なこと、幻想にすぎないとわかっている
しかしこれは同時に精神的な行為で
世界を構築し、再創造することでもあった
彼は演劇を実践していた……
 
責め立てるような言葉と身ぶりで
あらゆる希望を打ち砕きながらも
彼は信じさせようと必死だった
すべてはこの一夜に成し遂げられる、と
狂った視線と
甘い言葉と
いたずらっぽい笑顔と
豊かなユーモアと
傷つけたり揺さぶったりしながらも
奇跡の手術を成し遂げる言葉で
そう、彼は演劇を実践していた……
 
一般的に
故郷アフリカでは
とくに私の出身地であるカミテ(1)では
誰も何も気にしない
笑いながら涙を流して悼み
失望すれば地面を踏み鳴らし
グベグベ(2)やビクーツィ(3)を踊る
グラエ(4)、ワベレ(5)、ポニウゴ(6)など
恐ろしい形相のマスクを彫り
私たちに周期と時間を押し付ける
絶対的な力を形にする
そして操り人形は私たちのように
最後には創造者をり
遣い手を意のままに操って
儀式が生まれる
発せられた言葉はリズミカルな歌や呼吸で膨れ上がり
聖なるものを求めて突き進み
トランスのようなダンスを促し
呪文と祈りの呼びかけが起こる
しかし何よりも、笑いが巻き起こり
生きる喜びがたたえられる
何世紀にもわたる奴隷制と植民地支配も
人種主義も差別も
長年にわたる忌まわしき残虐行為も
私たち人類の父と母の魂から
消し去り奪うことのできなかった喜びが
アフリカでも、世界中のあらゆる場所と同様に
私たちは演劇を実践している……
 
ITIにとって特別な年である今年
私たちの大陸を代表し
私たちの平和のメッセージを
演劇の平和のメッセージを伝えられることは
この上なく幸せで光栄なこと
なぜなら少し前までは、人々は
みじんの危機感も欠落感も感じることなく
この大陸のことなどどうでもいいと言ったものだが
今再び、アフリカは人類の父と母としての
その根源的な役割が認識され
全世界が押し寄せているのだから……
それは、人が皆、両親の腕のなかに
平和を見出したいと願っているからではないか?
 
かくして、アフリカの演劇はこれまで以上に
あらゆる人々を惹きつけ、結びつけている
なかでも思想、言葉、そして演劇的行為を共有し、
自分自身そしてお互いを尊重しあう人々を
人間主義的な価値観を最優先することで
人々のうちに、知性と理解をもたらす
より優れた人間性を取り戻すことを願って
人間の文化のなかでもとくに効果的な手段
あらゆる境界線を消し去る「演劇」を活用して……
あらゆる言語で語られ、あらゆる文明が関わり、
あらゆる理想を反映する演劇は包容力のある手段であり
人々が本当のところはひとつであることを表現する
あまたの対立にもかかわらず
人々はお互いをより深く知ろうとし
平和と平穏のなかで、互いをより愛したいのだ
表現が参加するものになるとき
私たちはこの行為が私たちに課す責任を思い出す
人を再び人にとっての最大の財産とするために
知識を増やし、無知を減らし
彼らを共に笑わせ、涙させる演劇の力を思い出す
 
私たちの演劇は、あらゆる人間主義的な原則、
高い美徳、そしてUNESCOが熱心に唄導する
諸国民間の平和と友情という考え方について
もう一度根本的に見直し、新たな価値を与えようとしている
私たちの創造の場で再び命を吹き込み
こうした概念や原則が、まずは演劇の担い手たちにとって
なくてはならない、深い考察を促すものとなり
この考えを観客とより一層分かち合えるように
 
だから私たちの新作『木の神(L’ Arbre Dieu)』では
私たちの師、キンダック(7)のンゴ・ビヨン・ビ・クバン(8)
が何度もこう教える
「神とは大きな木のようなものだ」
私たちにいっときに見えるのは
自分がいる場所の角度によりその一部に過ぎない
木を飛び越える者には葉だけが見え
場合によっては果物と季節ごとに咲く花だけが見える
地下に暮らす者は根について多くを知るだろう
木にもたれかかる者は
背中に伝わる感覚を通じて木を認識する
ある方角から来る者は
反対側にいる者に見えるとは限らない側面を見るだろう
恵まれた者は、樹皮とその内部との間の秘密を理解し
木の髄の仕組みを理解するだろう
しかし、それぞれの知覚がいかに表層的だろうと
いかに深遠であろうと
すべての側面を同時に認識できる場所に
立った者は、いまだかつていない
自身がこの神聖なる木にならない限りは!
だがそのとき私たちは人でいられるのだろうか?
 
世界中の演劇がお互いを許容し、受け入れ
ITIのグローバルな目標に貢献し
記念すべき70周年の年に
演劇の力強い存在により
世界がより平和になることを願って……

* * *

(1)カミテ:「黒人の土地」、すなわち「アフリカ」を意味するカミタに暮らす者。カミテはまた、あらゆる先住民と、ディアスポラによって世界各地に散らばった彼らの子孫、そしてこの地域発祥の宗教を信仰する者を指す。
 
(2)グベグベ:コートジボワールのベティ族の地域に伝わる伝統舞踊。喜びや悲しみを公に表現する際に踊られる。ベティのあらゆる村で踊られ、コートジボワールの中西部を越える広がりを見せている。
 
(3)ビクーツィ:BikoutsiのKoutは「打つ」、Siは「大地」の意。南カメルーン発祥のファン族、ベティ族の踊り。もともとは豊作や穏やかな天候など、母なる大地の恵みを祈願する女性の踊りで、大地に耳を傾けてもらうため、地面を勢いよく踏みならす必要があった。現在、多くの国際的なスターのおかげで復活し、地域の若者の間で広まっている。
 
(4)グラエ:コートジボワール西部に暮らすウェ族およびウォベ族の「マスク」に基づく宗教体系。しばしば恐ろしい形相をした一連のマスクが、彼らの信仰と社会組織の礎をなす。
 
(5)ワベレ:コートジボワール北部のセヌフォと呼ばれる宗教体系におけるマスクのひとつ。火を吐くハイエナの頭を象った知識と権力の象徴。
 
(6)ポニウゴ:セヌフォのマスクのひとつ。聖なる木立の中央で行われ、彼らの社会全体を支配する儀式「ポロ」に使われる。
 
(7)キンダック:「助言する女性」の意で、女家長に与えられる敬称。カメルーン中央部バッサ族の地域の宗教体系、ムボック(またはムボッグ)の秘儀を伝授され、一定レベルの知恵を獲得した女性のこと。男性に使われる敬称ムボンボックと対になる言葉。
 
(8)ンゴ・ビヨン・ビ・クバン:ビヨンの娘、クバンの息子。リキンの祖母で、「キ=イ・ムボック」の知恵を持つ最後の人々の一人。リキンは祖母にキ=イ・ムボックの知恵を伝授され、後世へ継承する活動を30年以上にわたり続けている。

* * *

1_Were Were Likin Gnepo

Wèrê Wèrê Liking
ウェレウェレ・リキン(マルチアーティスト)

 
 1950年カメルーン・ボンデ生まれ。78年よりコートジボワールに住む。小説、戯曲、随筆、美術書、詩を書き、68年以降は画家としても活動。演劇では劇作家、操り人形師、俳優、「フレスコオペラ」(アフリカ独自の絵画や仮面を使ったもので「アフリカオペラ」とも呼ばれる)の演出家として活動。ラッパーでもある。
 アビジャン大学の研究者として儀礼劇の改革に参加し、85年にアーティストコロニー「キ=イ・ムボック」を創設。アフリカの通過儀礼から発案したトレーニング法で生活に困難を抱える若者の社会復帰を促し、クラウス王子賞「街のヒーロー」賞を受賞した。2001年には「若者の訓練と文化の発展のための汎アフリカキ=イ基金」を設立した。
 アレッティ賞、ルネ・プライユ賞、アルバータ大学フォンロン・ニコルズ賞、芸術文化勲章シュヴァリエなど受賞多数。小説『切断された記憶(La mémoire amputée)』ではコートジボワール国家功労勲章、野間アフリカ出版賞(2005年)を受ける。フランス語高等評議会メンバー(1997~2003年)。現在、コートジボワールの「アフリカおよびアフリカディアスポラの科学、芸術および文化アカデミー」常任理事。
 1992年の東京国際芸術祭では、リキン脚本・演出によるキ=イ・ムボック・シアター『トゥアレグ族の男とピグミー族の女の結婚』が上演された。

翻訳:志村未帆 Translation: Miho SHIMURA


 それは交流、またとない出会いの機会。他の世俗的な活動にはないもの。人々が共通の経験をするために同じ場所、同じ時に集まるというシンプルな行動。個人が共同体となってアイディアを共有し、必要な行動の負担を分け合う方法を思い描くよう促す……。そしてゆっくりと人間同士のつながりを取り戻し、相違点ではなく類似性を見つける。ここでは特定のストーリーが普遍性を追い求めることができる……。ここに演劇の魔法がある。表現によって、失われたものが取り戻されるのだ。
 
 他者に対する恐れや孤立、孤独が世界に広がる中で、今この場に本能的に共にいることは愛の行為だ。極めて消費主義的であくせくしたこの社会で、一時の快楽や個人の自己中心主義から離れ、ペースを落とし、熟考し、共に内省することは、政治的な行為であり寛容な行為だ。
 
 主要なイデオロギーが崩壊し、世界秩序が10年ごとに破綻を繰り返す中で、私たちはどうやって未来を再び描くことができるだろう? 主要な言説では安全性と快適性に関心が集まり、優先される今、それでも私たちは不快な議論に参加することができるだろうか? 自分たちの特権を失うことを恐れずに、危険な領域に足を踏み入れることができるだろうか?
 
 今日では、知識よりも情報のスピードが重要で、言葉よりもスローガンに価値があり、実際の人間の肉体よりも死体のイメージがめられている。演劇は、私たちが血と肉でできていること、私たちの肉体には重みがあることを思い出させてくれる。私たちのすべての感覚を呼び覚まし、視覚だけを頼りに理解、消費する必要はないと教えてくれる。演劇は言葉の力と価値を取り戻し、対話を政治家のもとから正しい場所へと返す……アイディアと討論、共通のヴィジョンの場へと。
 
 物語を語る力と想像力を通して、演劇は私たちに世界と他者に対する新しい視点を与えてくれる。不寛容さについての圧倒的な無知がはびこる中で、考えを共有する場を切り開いてくれる。外国人嫌悪やヘイトスピーチ、白人至上主義が恥ずべきこと、容認できないこととされるべく、世界中の大勢の人々が長年尽力し、犠牲になりながらも、それらはいとも簡単にまた表面化している。10代の少年少女は、不正や人種隔離政策を拒否して頭を撃たれ、投獄され、一部の主要先進国では狂気に走った人物や右派による専制支配が行われている。核戦争は、権力を握った幼稚な人々の間のバーチャルゲームとして迫りつつある。移動することが選ばれた少数の人にますます制限されていく一方、難民たちは幻の夢の地に渡ろうとして海で命を落とし、多額の費用をかけて壁が次々と建設されている。多くのメディアが買収された今、私たちはこの世界の問題をどこで取り上げることができるだろう? 私たちが愛と慈悲に基づき、知性とたくましさ、強さを持って建設的な議論をし、人間のありようを再考し、新しい世界秩序を想像する場が、人々の集う演劇の場以外にあるだろうか。
 
 アラブ地域出身者である私は、作品をつくる上で芸術家が直面する困難を語ることもできた。しかし、私は、破壊すべき壁が常に見えていたことを、恵まれていると感じる世代の演劇人だ。それによって私たちは、手に入れられるものを変化させ、協働と革新を限界まで推し進めることを学んだ。私たちは地下で、屋根の上で、リビングルームで、路地で、そして路上で演劇を作り、訪れる都市、村、そして難民キャンプで観客を増やしていった。私たちは一線を越え、タブーに抵抗しながら、文脈をゼロから作りあげ、検閲を切り抜ける術を身につけることができた。かつてなく資金が乏しく、ポリティカルコレクトネスが新たに検閲を担っている今、世界のすべての演劇人がこの壁に直面している。
 
 急増する有形無形の壁に立ち向かうため、世界規模の演劇コミュニティにはこれまで以上に、団体としての役割が求められている。今日はかつてなく、誠実さと勇敢さを持って社会的、政治的な構造を創造的に立て直す必要に迫られている。私たちの欠点と対峙し、私たちが作る世界に対する責任を負わなければならない。世界の演劇人として、私たちはひとつのイデオロギーやひとつの信念体系に従うことはない。しかし、私たちは皆、あらゆる形態の真実を永遠に探し求め、現状に疑問を投げ掛け続け、抑圧的な権力システムに抵抗し、そして人間としての品格を持っている。
 
 私たちは大勢で、恐れを知らず、そして存在し続けるのだ!

* * *

2_Maya Zbib
 
Maya Zbib
マヤ・ズビブ

 
演出家、パフォーマー、劇作家、ズゥカック劇団(Zoukak Theatre Company)共同創設者。手がけた作品は中東、欧州、米国、アフリカ、南米、南アジアで公演。世界各地の研究機関等で演劇を教えている。
 
2007年にロンドン大学ゴールドスミスカレッジを卒業、英国外務省チーヴニング奨学金・KRSF奨学金(カリム・リダ・サイード財団)を取得。2010年、ブリティッシュ・カウンシルのカルチュラル・リーダーシップ・インターナショナルに参加し、ニューヨーク・ISPAの奨学金を取得。
 
イスラエルのレバノン侵攻があった2006年、学校に避難した子供や女性に対し、演劇療法を用いて社会心理的な支援活動を始め、ベイルートでズゥカック劇団を設立。ニューヨーク大学アブダビ校パフォーミング・アーツ・センター、ヒューストン大学、ウィリアムズ大学、クレーフェルト=メンヒェングラートバッハ市立劇場、シュヴィンデルフライ演劇祭(マンハイム)、LIFT(ロンドン国際演劇祭)、ロイヤル・コート・シアターなどの委託を受けて作品を制作している。
 
2011年には「ロレックス・メンター・アンド・プロテジェ・アーツ・イニシアティブ」に選出、アメリカの演出家ピーター・セラーズの下で学ぶ。2012年、イプセン・スカラシップを授与され、2014年にはアナ・リンド財団のユーロメッド・ダイアログ・アワード、2017年にはシラク財団の「平和の文化」賞を受賞している。ズゥカック劇団は2017年、日本美術協会による高松宮殿下記念世界文化賞の一環である「若手芸術家奨励制度」に選出された。

翻訳: 前田雅子 Translation : Masako MAEDA


 進化の歴史を見る限り、あらゆる生物は永遠の存続を指向するという。時空を超えた種の繁栄と永遠不滅を目指す。種の存続のためには、自らの身を傷つけ、破壊することもある。しかし、私たちが考えるべきは、洞窟に住み、狩猟生活をしていた石器時代から今日の宇宙時代までの人類の存続と解放だ。人類はかつてより優しくなったのか? 感受性は豊かになったか? 喜びは大きくなったか? 母なる自然への愛は深まったのか?
 
 原初以来、舞踊や音楽や演劇などのライブパフォーマンスは言語とともに発達してきた。言語は母音と子音から成り立っている。母音は感覚や情緒を表現し、子音は形や思考、知識を伝達する。その結果、数学や幾何学、武器、コンピューターが生まれた。こうした言語の進化を元に戻すことはもはやできない。この地球を守るためには、生の舞台芸術の喜びとテクノロジーなどの知識を、俗事や怒り、欲望や悪から解放し、もう一度昇華させなければならない。
 
 マスメディアと科学技術のおかげで、私たちは強大な力を手に入れた。そんな今、舞台芸術は形式よりもその内容が重大な転機を迎えている。この地球、すなわち我々の「劇場」を守るためには、今の時代を生きる人々の心をつかまなければならない。そのためには、初等教育の一環として、子どもたちに演劇などのライブパフォーマンスに親しんでもらうことだ。それによって、この世代の命と自然を大切にする感受性を養うことができる。そうなれば、言語の優位性が母なる地球や他の星に害を及ぼすおそれもずっと少なくなる。そして劇場は、生命の維持と存続にとってさらに重要なものになっていくだろう。だからこそ、この世界共存の宇宙時代に、互いを脅かすことなく、アーティストや観客に力を与えていかなければならない。
 
 舞台芸術はすばらしい。草の根レベルから地方と都市部のあらゆるところで、世界中の子どもたちに身体と言語と心をひとつにする教育がもたらされることを私は切に願っている。

* * *

3_Ram Gopal Bajaj 1
Ram Gopal Bajaj
ラム・ゴパール・バジャージ

 
演出家、舞台・映画俳優、教育者。1940年インド、ダルバンガ生まれ。
1960年ビハール大学卒業。1965年インド国立演劇学校(National School of Drama)入学、演技を専攻。卒業後は同校の教壇に立ち、演劇教育論の研鑽を積んだ。その後、同校校長、客員講師を務めたほか、パンジャブ大学、ハイデラバード大学、ニューデリーのモダンスクールの職を歴任。
演劇を学んだ後、1967年創設のプロフェッショナル劇団「ディシャンタル(Dishantar)」に創立メンバーとして参加し、本格的な俳優活動を開始する。インド国内と国外の作品に出演した初期の演技で高い評価を受けた。その後、俳優、研究者としての経験を生かして演出も手がける。
 
これまで36作に出演、45作を演出。演出家として1992年にインド・ナショナル・プレスの演劇賞を受賞。俳優として2017年にダダサヘブ・ファルケ(Dada Saheb Phalke)演劇祭で最優秀俳優賞を受賞。また、外国語作品19作のヒンディー語翻訳・翻案を手がけ、独特のスタイルの詩の朗読も高い評価を受けている。
 
2003年、演劇活動における功績により、インド大統領からインドの国民栄誉賞にあたるパドマシュリ賞(Padma Shri)を授与された。2015年と2016年、生涯功労賞を受賞、2017年にはヒンディー語の演劇・文学への多大な貢献によりカーリダース・サンマーン賞(Kalidas Samman)を受賞。現在も舞台と映画の両分野で俳優、演出家、著述家として活躍を続けている。

翻訳:黒澤さつき Translation : Satsuki KUROSAWA


 リビア北東部キレナイカの海岸から約800メートル、そこに大きな遺跡がある。幅は80メートル、高さは20メートル。地元の言葉で「ハウアフテア」と呼ばれている。1951年、放射性炭素年代測定法によって、この場所に少なくとも10万年前から人類が絶えず居住してきたことが分かった。そこから発掘された遺物の一つに、新しければ40年前、古ければ7万年前に作られたという骨製の笛がある。その話を聞いたとき、少年だった私は父に尋ねた。
 
「ここにも音楽があったの?」
 父は私に微笑んだ。
「そう、人類のあらゆる共同体と同じように」
 
 私の父親はアメリカ生まれの先史学者。キレナイカのハウアフテアを初めて発掘したのが父だった。
 
 今年のワールド・シアター・デイに際して、ヨーロッパ代表に私を選んでいただいたことは大変な光栄であり、とてもうれしく思っている。
 1963年、世界に核戦争の脅威が重くのしかかるなか、私の先任者としてワールド・シアター・デイメッセージを発した偉大なアーサー・ミラーは言った。「外交や政治が持つ腕がこれほどまでに短く、か弱い時代には、デリケートでありながら、ときに遠くにまでその手を差し伸べることができる芸術は、人類の共同体を結束させるという重荷を背負わねばならない」
 「ドラマ」という英語はギリシャ語の「ドラン」、すなわち「行う」という単語に由来する。「シアター」という英語の語源はギリシャ語の「テアトロン」。その文字どおりの意味は「見る場所」だ。見るだけでなく、見える場所、捉えて、理解する場所――。約2400年前、小ポリュクレイトスは素晴らしいエピダウロスの劇場を設計した。最大1万4,000人の観客を収容できる、この野外劇場の音響効果は驚異的だ。舞台の中央でマッチを擦れば、その音は観客席のどこにいても聞こえる。古代ギリシャの劇場の例に漏れず、舞台の上の俳優を見るとき、観客には舞台の向こうの風景も見えた。こうした在り方は、共同体や劇場、自然という複数の空間を同時に、一つにまとめ上げるだけではなかった。あらゆる時間を一つにしたのだ。舞台の上で進行する劇が過去の神話を現在に呼び起こすなか、見る者は舞台の向こうにある自らの究極的な未来を見渡すことができた。自然という未来を。
 シェイクスピアの劇団によって建てられたロンドンのグローブ座を現代に再現したときに明らかになった驚くべき事実の一つも、「見えるもの」と関連している。その発見は光にまつわるものだ。この劇場では、舞台も観客席も等しく照らし出される。パフォーマーと観衆には互いが見えた。どんなときも。どこに視線を向けても、目に入るのは人の姿。その結果の一つとして、私たちは気づく。例えばハムレットやマクベスのあの卓越した独白は、個人的な思索であるだけでなく、公の場での討論だったのだ、と。
 今という時は、はっきりとものを見るのが難しい時代だ。有史以来、あるいは先史以来、これほど多くのフィクションに取り囲まれている時代はない。今やどんな「事実」にも異議を唱えることが可能で、どんな逸話も注目すべき「真実」だと主張することができる。なかでも、私たちを常に取り巻いているフィクションがある。その目的は私たちを分断すること。真実から。お互いから。私たちをばらばらの存在にすること。ある民族の人々からの分断。女性と男性の分断。人類と自然の分断。
 分断と分裂の時代である現在は、とてつもない動きが起きている時代でもある。歴史上のどの時代にも増して、人々は動いている。多くの人が逃れようとしている。歩き、必要に迫られれば泳ぎ、故国を離れて移動している。世界中で。しかも、これは始まりにすぎない。誰もが知っているように、こうした動きへの反応は境界を閉ざすこと。壁を造ること。締め出すこと。孤立させること。現在の世界秩序は独裁的だ。そこでは無関心が通貨となり、希望はひそかに持ち運ばれる密輸品でしかない。この独裁は空間だけでなく、時間をも支配する。私たちの生きている時代は、現在を遠ざけ、近い過去と近い将来に専念する。私はあれを持っていない、私はこれを買おう――。
 それを金で手に入れたら、手にするべきはまた次の……何か。遠い過去は消し去られている。未来は度外視されている。
 こうした現状の一部でさえ、演劇は変えることはないし、変えることもできないという声は多い。それでも、演劇が消え去ることはない。劇場は一つの場、あえて言うなら避難場所だからだ。人々が集まれば、そこにはたちまちコミュニティが形成される。人類がこれまでずっとそうしてきたように。あらゆる劇場が人類の原始の共同体の規模、50人から1万4,000人を受け入れるようにできている。遊牧民のキャラバンを構成する人数から、古代ギリシャの都市国家アテナイの人口の3分の1に相当する人数までを。
 そして演劇は現在だけに存在するからこそ、時をめぐる破滅的な概念に対しても異を唱える。演劇のテーマは常に「今、この瞬間」だ。演劇の意味は、パフォーマーと観客が共有する行為のなかに作り上げられる。ここに、だけでなく、この瞬間に。パフォーマーの行為がなければ、観客は信じることができないだろう。観客の信念がなければ、パフォーマンスは完全なものにならないだろう。私たちは同じ瞬間に笑う。私たちは感動する。私たちは息をのんだり、驚きのあまり沈黙したりする。その瞬間、ドラマを通じて、私たちは最も深遠な真実を発見する。最も私的なところで私たちを分かつ一線とみなしていたもの、私たちそれぞれの個人意識という境界にもまた、境目がないということを。それは私たちが分かち持つものだ。
 私たちを止めることはできない。夜ごとに、私たちは再び姿を現す。毎晩、俳優と観客は再び集い、同じドラマが再び演じられる。作家のジョン・バージャーが「演劇の本質の奥深くにあるのは、儀式が繰り返される感覚だ」と言うように、演劇はこれまでずっとよるべなき者たちの芸術形式であったし、私たちの世界が崩壊しつつあるいま、私たちのだれもがよるべなき者なのだから。パフォーマーと観客がいる限り、そこがオペラハウスでも大都市の劇場でも、リビア北部や世界各地の移民や難民が暮らすキャンプでも、その場所でしか語ることができないストーリーが演じられる。ドラマが繰り返し演じられるなかで、私たちはいつでも共同体として結ばれる。
 ここがエピダウロスであったなら、目を上げれば、劇場とその向こうに広がる風景を私たちが共有するさまが見えるだろう。私たちは常に自然の一部で、この地球から逃れられないように、自然からは逃れられないということを。ここがグローブ座であったなら、個人的な問いと思えたものが私たちすべてに投げ掛けられたものに見えるだろう。そして4万年前のキレナイカの笛を手にすることがあれば、私たちは理解するだろう。過去とここにある現在は不可分であり、人間の共同体の絆は独裁者にもデマゴーグにも決して断つことはできない、と。

* * *

4_Simon McBurney 2
Simon McBurney
サイモン・マクバーニー

 
 俳優、劇作家、脚本家、演出家。演劇、オペラ、ミュージカル、映画など幅広いジャンルの作品を手がける。
 1983年、ロンドンで劇団「コンプリシテ」を結成。以降、特定の舞台美術家や制作者、舞台監督、俳優、作家とともに、掘り下げたリサーチと緊密なコラボレーションに基づき、言語への深い関心と「演劇のあらゆる側面に語らせる」との信念を融合させるプロセスを通じて創作を行う。作家・美術評論家のジョン・バージャー(1926~2017)とは25年にわたり親密なコラボレーションを続けた。
 
 代表作に『巨匠とマルガリータ(The Master and Margarita)』『ニモニック(Mnemonic)』『消えゆく数(A Disappearing Number)』『ストリート・オブ・クロコダイル』、シャウビューネとの共同製作『心の焦燥(Beware of Pity)』、エマーソン弦楽四重奏団およびリンカーン・センターとの共同製作『ザ・ノイズ・オブ・タイム』、エディンバラ国際フェスティバルの委嘱作品『エンカウンター(The Encounter)』、ネーダーランスオペラでの演出作品『犬の心臓』『魔笛』『放蕩児の遍歴』など。世田谷パブリックシアターとの共同製作『エレファント・バニッシュ』および『春琴』では現在と過去との関係を問うと同時に、欧米的な知覚や美の概念に疑問を呈した。
 2008年、外国人初の読売演劇大賞最優秀演出家賞を受賞。2012年にはアヴィニョン演劇祭のアソシエイト・アーティストに選出され、スウェーデンのルンド大学、ロンドン・メトロポリタン大学、ケンブリッジ大学から名誉博士号を授与されている。

翻訳:服部真琴 Translation: Makoto HATTORI


 我々には想像できる。
 
 部族の民が空飛ぶ鳥をしとめようと小石を投げつけたそのとき、巨大なマンモスが場になだれこみする――それと同時に、小さな人間もマンモスのようにする。そして、誰もが逃げだす……
 
 人間の女性――女性だと考えたい――から発せられたマンモスの咆哮、それは我々を今ある種たらしめているものの原型である。自分たちと異なるものを模倣する能力を持つ種。他者を演じる能力を持つ種、それが我々だ。
 
 10年、いや100年、1000年先に時を進めてみよう。人類は他の存在を模倣するすべを身につけた。洞窟の奥深く、かがり火のゆらぐ光のなか、4人の男がマンモスに、3人の女が川となり、鳥、ボノボ、木、雲と化す男女もいる。部族はその朝の狩りの情景を表現し、演劇の才能を使って過去をとらえる。さらに驚くべきなのは、部族の民が未来に起こりうる状況を想定し、部族の民の敵、マンモス退治の手段を実際に試していることである。
 
 咆哮、口笛、つぶやき――原初の演劇で用いられた擬音語――は言葉になる。話し言葉は書き言葉に変わる。そのもっと先で、演劇は儀式になり、やがて映画に転じる。
 
 しかしこうした形式の変化があっても、それぞれの核心は、必ず演劇へと通じている。もっともシンプルな表現形式、ただひとつの生きた表現形式だ。
 
 演劇はシンプルであればあるほど、他者を演じる、という人間の持つ実にすばらしい能力を身近に引きよせてくれる。
 
 今日、世界中のあらゆる劇場で人間はすぐれた演技力を披露している。演じることで自分たちの過去をとらえ、未来に起こりうる状況を考えることで人類という部族にさらなる自由と幸福をもたらしていく。
 
 もちろん、今私が話しているのは本当に重要で娯楽を超えた演劇作品のことだ。重要な作品は、大昔から同じ道を示している。演じるという才能を使って、それぞれの時代における人類の敵を倒そうとするのだ。
 
 人類という部族の演劇が、今日退治すべきマンモスとは何だろうか?
 
 私にとって、最大のマンモスは人間の心が失われていくことである。共感する能力、つまり人間の仲間やそれ以外の生き物の仲間を思いやる力をなくすことだ。
 
 何というパラドックスだろう。今日、人類が地球をもっとも大きく変えた自然力であり、これからもそうであり続ける人間中心主義最後の時代――――における演劇の使命は、洞穴の奥で演じられた原初の時代に部族を結集したのとは正反対のところにあると私は思う。今日、我々は自然界とのつながりを守らなければならない。
 
 文学よりも、映画よりも、人の前にほかの誰かが存在することが要求される演劇こそ、我々がアルゴリズムやただの抽象概念にならないようにするのにうってつけである。
 
 演劇から余計なものをすべて取り去ってみよう。丸裸にしてしまおう。演劇がシンプルであればあるほど、ただひとつの動かぬ事実を思い出させてくれるからだ。我々は時の流れの中にいる間は、ただの肉と骨、心臓が胸の中で脈打っているだけの存在であり、今ここにいるが、それ以上の何物でもない、ということを。
 
 演劇に幸あれ。太古からつづく芸術。今を生きる芸術。驚くべき芸術。演劇よ永遠なれ。

* * *

5_Sabina Berman 2
 
Sabina Berman
サビーナ・ベルマン

 
 サビーナ・ベルマンはメキシコシティ出身の劇作家・ジャーナリスト。メキシコ国内でもっとも高く評価され、商業的にも成功している現代劇作家であり、スペイン語圏における現存作家のなかでも多作を誇る。
 
 サビーナが生まれる前、両親はユダヤ人への迫害をのがれるため、故郷のポーランドからメキシコに新天地を求めた。彼女は3人のきょうだいとともにこの地で育ち、この境遇が家族の運命にもたらした試練を感じながら幼少期を過ごした。それが自分の人生における決定的要因になったと今でも考えている。
 
 劇作家としては、おもに多様性とそこに立ちはだかる障害がテーマの作品に取りくんでいる。ユーモアを持ちつつ言葉の限界を超える必要性を追求していくスタイルが多い。メキシコ政府による全メキシコ戯曲賞(Premio Nacional de Dramaturgia Juan Ruiz Alarcón)を4度、全メキシコジャーナリズム賞(Premio Nacional de Periodismo)を2度受賞。戯曲はカナダ、北米および中南米、ヨーロッパ各地で上演され、小説『世界の中心に潜った女(La mujer que buceó dentro del corazón del mundo)』も11カ国語に翻訳され、スペイン、フランス、アメリカ合衆国、イギリス、イスラエルを含む33カ国以上で出版された。
 
 現在は映画・テレビ作品の脚本や小説も手がけている。

翻訳:ドーラン優子 Translation : Yuko DORAN

 

● 歴代のワールド・シアター・デイ・メッセージ発信者

2017

イザベル・ユペール

俳優

フランス

2016

アナトーリー・ワシーリエフ

演出家、教育者

ロシア

2015

クシシュトフ・ヴァルリコフスキ

演出家

ポーランド

2014

ブレット・ベイリー

劇作家、デザイナー、演出家、インスタレーション・アーティスト

南アフリカ共和国

2013

ダリオ・フォ

劇作家・演出家・俳優

イタリア

2012

ジョン・マルコヴィッチ

俳優

アメリカ

2011

ジェシカ・A・カアゥワ

劇作家・俳優・演出家

ウガンダ

2010

ジュディ・デンチ

俳優

イギリス

2009

アウグスト・ボアール

演出家・作家

ブラジル

2008

ロベール・ルパージュ

演出家・劇作家・俳優

カナダ

2007

シェイク・スルタン・ビン・ムハンマド・アル・カーシミー殿下

シャルジャ首長・歴史家・劇作家

アラブ首長国連邦

2006

ビクトル・ウーゴ・ラスコン・バンダ

劇作家

メキシコ

2005

アリアーヌ・ムヌーシュキン

演出家・太陽劇団創立者

フランス

2004

ファティア・エル・アッサル

劇作家

エジプト

2003

タンクレート・ドルスト

劇作家

ドイツ

2002

ギリシュ・カルナド

劇作家・俳優・映画監督

インド

2001

ヤコボス・カンバネリス

詩人・小説家・劇作家

ギリシャ

2000

ミシェル・トランブレ

劇作家・小説家

カナダ

1999

ヴィグディス・フィンボガドゥティル

アイスランド第4代大統領

アイスランド

1998

ユネスコ創設50周年記念メッセージ

1997

キム・ジョンオク

演出家・劇団自由創立者

韓国

1996

サーダッラー・ワッヌース

劇作家

シリア

1995

ウンベルト・オルシーニ

演出家・劇作家

ベネズエラ

1994

ヴァーツラフ・ハヴェル

劇作家・チェコ共和国初代大統領

チェコ

1993

エドワード・オールビー

劇作家

アメリカ

1992

ジョルジュ・ラヴェリ

演出家

フランス

1992

アルトゥーロ・ウスラール=ピエトリ

小説家・作家・政治家

ベネズエラ

1991

フェデリコ・マヨール

ユネスコ第7代事務局長

スペイン

1990

キリール・ラヴロフ

俳優

ロシア

1989

マーティン・エスリン

演劇批評家

イギリス

1988

ピーター・ブルック

演出家

イギリス

1987

アントニオ・ガラ

詩人・劇作家・小説家

スペイン

1986

ウォーレ・ショインカ

詩人・劇作家

ナイジェリア

1985

アンドレ=ルイ・ペリネッティ

演出家・ITI事務局長

フランス

1984

ミハイル・ツァレフ

俳優・演出家

ロシア

1983

アマドゥ・マハタール・ムボウ

ユネスコ第6代事務局長

セネガル

1982

ラーシュ・アフ・マルムボリ

指揮者

スウェーデン

1981

各国センターからのメッセージ

1980

ヤヌシュ・ヴァルミンスキ

俳優

ポーランド

1979

各国センターからのメッセージ

1978

各国センターからのメッセージ

1977

ラドゥ・ベリガン

俳優

ルーマニア

1976

ウジェーヌ・イヨネスコ

劇作家

フランス

1975

エレン・スチュワート

ラ・ママ実験劇場創立者・プロデューサー

アメリカ

1974

リチャード・バートン

俳優

イギリス

1973

ルキノ・ヴィスコンティ

映画監督

イタリア

1972

モーリス・ベジャール

振付家

フランス

1971

パブロ・ネルーダ

詩人

チリ

1970

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ

作曲家

ソビエト連邦

1969

ピーター・ブルック

演出家

イギリス

1968

ミゲル・アンヘル・アストゥリアス

小説家

グアテマラ

1967

ヘレーネ・ヴァイゲル

俳優・ベルリーナー・アンサンブル創立者

東ドイツ

1966

ルネ・マウ

ユネスコ第5代事務局長

フランス

1965

匿名のメッセージ

1964

ローレンス・オリヴィエ

俳優

イギリス

1964

ジャン=ルイ・バロー

俳優・演出家

フランス

1963

アーサー・ミラー

劇作家

アメリカ

1962

ジャン・コクトー

詩人・小説家・劇作家

フランス