Slider

2020.3.27
ワールド・シアター・デイ メッセージ


シャーヒド・ナディーム

Shahid Nadeem

聖者廟(*1)としての劇場

 ワールド・シアター・デイにメッセージを綴ることは私にとって大きな名誉です。畏れ多く感じつつも、パキスタンの演劇とパキスタンという国を世界の演劇界を代表するITI(国際演劇協会)が私たちを見ていてくれたことに興奮を隠せません。この栄誉は、私たちの劇団の創設者にして象徴であり、2年前に亡くなった私の人生のパートナー、マディーハー・ガウハル(*2)へも献呈されるべきものです。 私の主宰するアジョーカー劇場(*3)の社中は、路上から劇場まで、あらゆる場所で様々な形態で可能性を試行しながら、長く困難な道を歩んできました。しかし、それは私たちだけではなくどの演劇グループでも同じでしょう。順風満帆な航路などありません。常に荒波との闘いです。

 私は、イスラーム教徒が人口のおよそ98%を占める国パキスタンの出身です。この国は軍部による独裁政権、イスラーム過激派の忌むべき猛襲、そして数千年の歴史と遺産を共有する隣国インドとの三度におよぶ戦争を経験しています。現在、両国は核兵器を保有しているため、私たちは双子の兄弟との本格的な戦争、つまり核戦争を恐れながら日々生きているのです。

 私たちは時々冗談で言います。「悪しき時は演劇にとって良き時である」と。なぜなら悪しき時にこそ、乗り越えるべき難題や暴露すべき矛盾、覆すべき現状の有様が見えてきて、ネタに事欠くことがありませんから。アジョーカー劇場と私は、このあぶない橋を36年以上も渡り続けてきました。それこそ曲芸師が宙に張られた綱の上を渡るようなものでした。私たちは、エンターテインメントと教育、過去の検証・学習と未来への準備、創造的で自由な表現の追求と身を賭しての権力・官憲との対決、社会批判を重要視する劇と経済的に実行可能な劇、大衆的かつ前衛的であり続けるといった、相対する二項のバランスを命懸けで保ち続けました。演劇人は曲芸師、魔術師でなければならないと言われるのも致し方ありませんね。



 パキスタンでは、神聖なものと不敬なものとの間に明確な区分が存在しています。不敬な人や冒涜者にはもとより宗教的疑問を呈する余地がなく、神聖な人からは、開かれた議論や新しいアイデアが生まれることはありません。実際、保守的な宗教団体は、不敬なものを貶めて自らの聖性の優越性を誇示しようとする「神聖遊戯(sacred games)」のために、芸術・文化を自分たちが踏み入れてはならぬ領域とみなしています。

 したがって、演劇をすることは厳しいハードル競走に等しいものでした。舞台芸術に携わる人たちはまず、自分が良いイスラーム教徒であることを証明し、従順な市民であるという信任を得なければなりませんでした。また同時に、舞踊、音楽、演劇がイスラーム教で「許容されている」ことを立証する努力をしなければならなかったのです。(*4)イスラーム法や慣習を遵守する大多数のイスラーム教徒は、舞踊、音楽、演劇が日常生活と不可分であることに気づいていながら、舞台芸術を受け入れることを渋っていましたから。そんなとき私たちは、神聖なものと不敬なものを共演させてしまえるかもしれない「サブカルチャー」に遭遇したのでした。



 アジョーカー劇場は、1980年代の軍事政権下のパキスタンで、演劇によって独裁政権に立ち向かう若い芸術家たちが立ち上げた劇団です。彼らは自分の感情や怒り、苦悩が、およそ300年前のスーフィー詩人(*5)によって驚くほど表現されていることを発見しました。この偉大なスーフィー詩人こそブッレー・シャー(*6)です。アジョーカー劇場は、ブッレー・シャーの詩が腐敗した政治権力や偏狭頑迷な宗教権力に抗する政治的な爆弾的声明となりうることを発見したのです。ブッレー・シャーは広く尊敬され、民衆に人気のあるスーフィー詩人で、当局にとっても無下にはできない存在ですが、彼らは私たちを追放し、上演を禁じざるを得ませんでした。ブッレー・シャーの人生がその詩と同じくらい劇的で急進的な思想を持ち、生涯、宗教指導者による布告ファトワーと追放がついてまわっていたことを、私たちはそのときはじめて知りました。
 それから私は『ブッラー(Bulha)』の題で、彼の人生と闘争についての劇を書きました。南アジアの大衆から愛情を込めてブッラーと呼ばれるこの詩人を主人公とした本作は、詩と行動を通して皇帝と聖職者の権威に大胆に挑んだ、パンジャーブ地方のスーフィー詩人の伝統から生まれたものです。彼らは市井の人々の話す言葉で大衆が願う希望について詩を書き、音楽と舞踊で人々を陶酔させ、搾取的な宗教的仲介者(教条的なイスラーム学者や法学者)を回避しながら、人間を神と直接的に結ぶ手段を確立しました。彼らは性別も階級制度カーストも無視し、この世界すべてを全能者アッラーの現われだとして、そこに神の奇跡を見ようとしました。
 ラホール芸術評議会からは、これは戯曲ではなく単なる伝記だからという変な理由で会場を借りることができませんでした。(*7)しかしのちにこの作品がラホールの別の会場で上演されると、観衆は自らが愛する詩人の人生と彼の詩に秘められた象徴性を見てとり、理解しました。彼らはブッレー・シャーの人生とその時代を、自分たちと重ね合わせていました。



 2001年のあの日、新しい演劇が誕生しました。神への愛を歌う音楽「カウワーリー」(*8)やスーフィーたちがトランス状態で踊る「ダマール」(*9)、扇動的で魂に訴えかける詩の朗読、さらにはアッラーに向けた声明しょうみょう「ズィクル」(*10)の詠唱までもが劇の構成要素となりました。世界パンジャービー人会議に出席するため、世界のあちこちからラホールに集結していたスィク教徒(*11)のグループが30〜40人も私たちの芝居を観てくれました。劇が終わった途端、彼らはどっと舞台に駆け上がり、俳優たちを抱きしめ、キスをして泣いていました。 1947年のインド・パキスタン分離独立(*12)の際、旧英領パンジャーブ州にも国境線が引かれ、二つの国に分割されました。インド側にはスィク教徒やヒンドゥー教徒が移住し、パキスタン側にはイスラーム教徒が移動し、混乱の中で多くの悲劇が生まれたのです。スィク教徒たちはその分割劇の後、この日はじめてイスラーム教徒のパンジャービー人たちと劇場でまみえたのでした。 ブッレー・シャーは、イスラーム教徒のパンジャービー人と同じように彼らスィク教徒たちをも愛していました。 スーフィーは宗教や共同体の分裂を超越しているからです。

 この忘れがたい初演の後、『ブッラー』一行はインドを目指しました。インドでの旅公演はパンジャーブ州公演を小手調べに始まり、両国間が深刻な緊張状態にある時も、観衆が一言もパンジャービー語を知らない場所(*13)でも敢行して、結果的にすべてが受け入れられ愛されたのでした。

 政治的対話と外交の扉が閉じられていたにもかかわらず、劇場の扉とインド国民の心は広く開かれていたのです。 2004年のパンジャーブ州公演では、田舎町の何千人もの観衆から非常に温かい喝采を受けたあと、一人の老人が偉大なるスーフィー、ブッレー・シャーを演じた俳優のところに進み出ました。老人は幼い男の子を連れてきて言うのです、「私の孫はとても体が悪いんです。どうか彼に祝福の息(*14)を吹きかけてください」。

 俳優はびっくりして、「バーバー・ジー(お父様)、私は聖者ブッレー・シャーなどではなく、この役を演じる俳優です」と言いました。老人は泣きはじめ、「私の孫を祝福してください。そうすれば孫はよくなるはずです」と懇願するのです。私たちは老人の願いを叶えるよう俳優に提案しました。俳優は老人の孫の患部に祝福の息を吹きかけました。老人は大変満足して、俳優にこんな言葉を残して去ってゆきました、「息子や、お前はただの役者なんかじゃないよ。聖者ブッレー・シャー様の生まれ変わりだ、化身(*15)だよ!」と。役者が演じる役柄の生まれ変わりになるという、これまでの演技・演劇にはなかった新しいコンセプトが立ち上がった瞬間でした。
 18年におよぶ『ブッラー』の旅公演で、私たちは多くの観衆にあきらかに同様の反応が見られることに気が付きました。つまりこのパフォーマンスは、彼らにとって単に面白くて知的に刺激的な経験であるだけではなく、魂を揺さぶられる霊的スピリチュアルなものとの遭遇でもあるのです。そのせいか、ブッレー・シャー役の俳優は、この役を演じて以来、2冊も詩集を発表するスーフィー詩人となってしまいました。この公演に携わった俳優たちは皆、ブッレー・シャーの魂が自分たちの中にあり、それゆえにステージがより高い次元に昇華するのだと感じています。インドのある学者は、この劇について「劇場が聖者廟になるとき」という粋な題目で文章を寄せました。



 私は俗な人間で、スーフィズムの文化的な面、特にパンジャーブ出身のスーフィー詩人たちの言行や芸術的な側面に興味がありますが、私たちの演劇を観に来るひとたちは敬虔なイスラーム信者です。むろん宗教的過激派や偏狭者ではありません。

 あらゆる文化のなかで息づく『ブッラー』のような物語は、演劇人といまだ出会わざる熱狂的観衆を結ぶ架け橋となります。私たちは共に演劇の霊的スピリチュアルな側面を発見して過去と現在をつなぎ、信者と不信者、俳優と老人とその孫などすべての共同体に共通して定められた未来へ向かうのです。



 なぜ私はブッレー・シャーの物語にこだわり、私たちはスーフィーについて演劇的実験を続けているのでしょう。
 劇が始まると、私たちはつい自分たちの演劇哲学や社会改革の先駆者的役割に酔って、しばしば多くの観衆を置き去りにしてしまいます。つまり、私たちは昨今の問題・課題について演劇が提供できるはずの深く感動的な霊的体験の可能性を、観客である大衆から奪ってきたといえるのです。
 今日、世界では偏見、憎悪、暴力が再び幅をきかせ、国家は国家と戦い、信者は不信者・他宗派の信者と戦い、共同体は他の共同体への憎悪を吐き出し……その間に子供たちは栄養失調で、出産を控えた母たちは時宜を得た医療を受けられず、イデオロギーは憎悪に染まって命を落としてゆく。私たちの地球は、異常気候変動の泥沼へと深く深く落ち込んでいく。黙示録の四騎士(*16)がまたがる馬の蹄の音がもう聞こえている。
 私たちは霊の力を補充する必要があります。私たちは、無関心や無気力、悲観、貪欲、無視と戦う必要があります。私たちが住んでいるこの世界のために、私たちが生きているこの地球のために。演劇には、人々を奈落の底から引き上げて元気づけ、結集させるという尊い役割があります。つまり演劇は、パフォーマンス空間を神聖な場所へと高めることができるのです。

 南アジア世界の芸術家たちは、古来、つまり霊性と文化が密接に結びついていた頃から伝承されてきた作法を守って、舞台に上がる前に、敬意を表して舞台の床を手で触ります。*17)この瞬間、俳優と観客、過去と未来が再び結ばれます。演劇の創作は神聖な行為です。時として俳優は演じる役の生まれ変わりとなり、劇場はその演技に霊力を与えるのですから。劇場は霊力に満ちた聖者廟そのものであり、聖者廟で得られる奇跡を起こせる場こそ劇場なのです。(*18)

***

*1 聖者廟…英語のshrineの訳語で、シャーヒド・ナディーム氏によれば、南アジア世界で民衆が願掛けに参詣する聖者廟ダルガー(dargah)にあたる。アジールであるダルガーには老若男女、あらゆる宗派の参詣者が絶え間なく集まり、モスクで神を讃えるアラビア語の礼拝とは対照的に、自分の民族の言葉で現世利益を祈願している。



*2 マディーハー・ガウハル(MadeehaGauhar、1956-2018)…演出家、女優、フェミニスト、アジョーカー劇場の創設者。ロイヤルホロウェイカレッジ(ロンドン)で修士号(演劇)を取得。パキスタン政府より受勲したほか、オランダよりクラウス王子賞を受賞。


*3 アジョーカー劇場(Ajoka Theater)…1984年設立。アジョーカー(Ajoka)という言葉は、パンジャービー語で「今日の、現代の」を意味する。そのレパートリーには、宗教的寛容、平和、性暴力、人権などのテーマが含まれている。

*4 イスラーム教における舞踊、音楽、演劇の「許容」…音楽に関してはハラール(許容)、ハラーム(禁忌)の法学的決着がつかぬまま、マクルーフ(禁止ではないが忌避すべきもの)の領域でパンドラの箱状態となっている。

*5 スーフィー(Sufism)…イスラーム神秘主義。個人が直接「神」を体験することによって神による真実の愛を希求する伝統。普遍的な同胞愛を唱え、厳格な教条主義を強要する宗教に反対する教義によって広く流布した。音楽が付され歌となったスーフィー詩は、禁じられた愛の物語を語りながら、隠喩的に神との合一を表現している。



*6 ブッレー・シャー(Bulleh Shah、1680-1757)…分断された両パンジャーブ地方を代表するパンジャービー語詩人。複雑な哲学的テーマを簡素な言葉で表現できるこの詩人は、宗教の正統派的慣行と体制側のエリートに対して激烈な批判を続けた。それゆえ彼は、故郷カスール(現パキスタン)の町にいられなくなり、異端派として告発され、死後は非イスラーム教徒の扱いで共同墓地に埋葬が認められなかった。彼のスーフィー詩はカウワール等の宗教音楽家や民謡歌手などに広く歌われ、宗派を超えて愛されている。



*7 評議会による上演却下…上演会場を借りる際には基本的に検閲を受ける必要がある。上演団体は台本を提出して、審査委員会から合格をもらえないと、会場を予約できないシステムになっている。



*8 カウワーリー(Qawwali)…「カウワール」という専門の楽師によって、スーフィー聖者廟で演奏されるイスラーム神秘主義修道歌謡。神、預言者、聖者を讃える愛の歌によって、聴衆をエクスタシーへと誘う。


*9 ダマール(Dhamal)…スーフィー聖者廟で行われる神秘的陶酔舞踏。大型の両面太鼓「ドール」の一組が奏でる繊細かつ爆発的なリズムに主導され、スーフィーたちは首を振り、ステップを踏み、旋回する。

*10 ズィクル(Zikr)…神の名を個人でまた集団でリズミカルに唱える祈りの一つ。すべてがアッラーの名で満たされ、陶酔感を伴う修業である。すべてのイスラーム教徒に奨励されている。

*11 スィク教徒…15世紀、グル・ナーナク(Guru Nanak)によって、パンジャーブの地で提唱されたスィク教の信者のこと。イスラーム教から唯一神や万民平等などの概念を取り入れたヒンドゥー教の改革派である。


*12 インド・パキスタン分離独立…イスラーム国家パキスタンは、1947年、前例のない大虐殺の応酬と未曽有の住民の大移住のなか、英領インド帝国の東西両翼を削り取る形で成立した。

*13 「観衆が一言もパンジャービー語を知らない場所」…パンジャービー語に類似したヒンディー語やウルドゥー語も通じない南インドのケーララ州では、ムンバイ・テロの直後であったため、ヒンドゥー右派のインド人民党の幹部党員がパキスタンの劇団の公演を中止するよう求めてきた。マディーハ女史は要求文を受け取る代わりに上演の招待状を手渡した。すると彼らは家族を伴ってみなやってきて、抗議するどころか最後まで観劇したあと、感動してステージに上がってきて賞賛した。


*14 「祝福の息」…ダム(dam)の訳語。「息」を意味し、「命」の意味でも解釈できる。聖者の息を吹き替えられることで祝福の呪力を獲得できると信じられている。

*15 生まれ変わり、化身…アヴァタール(Avatar)の訳語。ヒンドゥー教における化身・権化を意味し、神が地上に降臨し救済を施すもの。「アヴァタール様」とも訳せるだろう。


*16 黙示録の四騎士…『新約聖書』の終章「ヨハネの黙示録」で述べられている四騎士とは、それぞれが征服、戦争、飢餓、そして死を象徴している。


*17 舞台の床を手で触れる…聖なる祝福を受けるための行為。聖者廟の入り口でも、参詣者は床や建物に触ることで聖なる呪力を得ようとする。人間に対しても最上の敬礼は、腰をかがめて相手の足に両手で触れ、足の土埃を自分の額につけるというもの。


*18 「劇場は霊力に満ちた聖者廟そのものであり、聖者廟で得られる奇跡を起こせる場こそ劇場」…「劇場は、スーフィー聖者を祀る無縁所(アジール)である聖者廟と同じ機能を持ち、その聖者廟の境内こそ聖俗混交した現世界の全縮図が演じられる空間となる可能性に溢れていると言えるのではないだろうか」ということ。ここでいう「聖者廟の境内」とはダルバール(darbar)のことで、「聖者の宮廷」という意味もある。聖者の命日祭ウルス(Urs)には、願掛けをする人たちが全国各地から集まり、大きな縁日が開かれて、サーカスや見世物小屋や人形芝居、スポーツ大会などの、広義での芸能者たちが集まり、ハレの空間を出現させる。劇場と聖者廟をリンクさせて語れるのは、この観点からである。


* * *

Shahid Nadeem
シャーヒド・ナディーム(パキスタン)

 劇作家、アジョーカー劇場(Ajoka Theatre)主宰。1947年、カシュミール藩王国のソーポール(Sopor)に生まれ、翌48年にはイスラーム教徒のための新生国家パキスタンに移住すべく難民となる(*1)。パキスタンではパンジャーブ州の州都ラホールに住み、国立パンジャーブ大学で心理学と哲学の修士号を取得。

 学生時代から劇作を始め、軍事政権下では労働組合を組織しての体制批判により3度投獄された(69年、70年、78年)。1978年、非人道的な施設の貧しさと強制労働による囚人の獄死で有名なミヤーンワーリーの中央刑務所(Central Jail Mianwali)入獄中には、毎週末に行われる囚人による囚人のための演劇会のために戯曲を書いていた。国内外のサポーターの働きかけが実り、アムネスティ・インターナショナル(人権擁護を目的とした国際NGO組織)により「良心の囚人」として認定され出獄、79年に滞英し、ロンドンのアムネスティ・インターナショナルで活動、80年にはゴールドスミス・カレッジのテレビ演出コースで学んだ。
イギリス亡命中、のちに伴侶となる活動家マディーハー・ガウハル女史(Madeeha Gauhar、1956-2018)が1984年に結成した反体制的啓蒙劇団、アジョーカー劇場のために戯曲を書き始める。同劇団はこれまでに50以上ものシャーヒド作品(パンジャービー語とウルドゥー語)を上演している。88年にはパキスタンに戻り、米国や香港も活動拠点にしながらアジョーカー劇場の共同運営者となった。

 アムネスティ・インターナショナルでは国際キャンペーンのコーディネーターやアジア太平洋地域の広報担当を務めたほか、ゲッティ研究所や国際ペン、全米民主主義基金(NED)のフェローを歴任。国営パキスタンテレビ(PTV)ではプロデューサー等要職に就いており、アジョーカー劇場のパフォーミングアーツ研究所やラホールの芸術文化研究所では後進の指導にもあたっている。国境なき劇団(Theater Without Borders)ネットワークメンバー。

 パキスタン国内で演劇やテレビドラマの演出を行う傍ら、パキスタンとインドを演劇でつなぐ「平和のための演劇祭(Theatre for Peace Festival)」のコーディネートや両国の主要紙への寄稿、BBCウルドゥー語放送への出演など各種メディアにも貢献している。ラホール博物館やパンジャーブの習慣、建国詩人ムハンマド・イクバール(Muhammad Iqbal)、画家サイヤド・サーデカイーン(Syed Sadequain)等を扱ったドキュメンタリー映像の制作も手がける。2009年にはパキスタンで「プライド・オブ・パフォーマンス賞」(文学・戯曲部門)を受勲した。

***

シャーヒドの演劇は社会と密接に結びついており、宗教的過激主義や女性への暴力、少数民族・宗派に対する差別、表現の自由、気候、平和、スーフィズム(イスラーム神秘主義)など、これまでタブー視されていた課題にも挑んでいる。
観客が慣れ親しんだ大道芸・大衆演劇・民謡等の表現形態を取り入れて「今日の(Ajoka)」深刻な問題を舞台化し啓蒙する、アジョーカー劇場独自の手法「パラレル・シアター(並行演劇)」で書かれた作品の数々は、パキスタンとインドのみならず世界各国で上演され(*2)、英訳はオックスフォード大学出版局やNick Herrn Publishersなどから出版されている。2014年度には、国際演劇協会日本センターでも「紛争地域から生まれた演劇6」で『ブルカヴァガンザ(Burqavaganza)』をリーディング上演と出版で紹介した(翻訳=村山和之、演出=西沢栄治)。


*1ソーポールは1947年の第一次インド=パキスタン戦争(カシュミール領有をめぐる印パ間の戦争)によりインド領となった。1947年は、インドとパキスタンがイギリスから分離独立した年でもある。

*2世界各国での上演(一部)
・『ブッラー(Bulha)』(パンジャーブ文化圏を代表する反権力・反教条主義のスーフィー聖者ブッレー・シャーを描く音楽劇)…ハマースミス劇場(ロンドン)、トラムウェイ(グラスゴー)、ヘルシンゲル
・『アメリカへ行こう(Amrika Chalo)』…デイビス・パフォーミング・アーツセンター(ワシントン)、ジョージタウン大学
・『バーラー王(Bala King)』(ブレヒト作『アルトロ・ウィの興隆』の翻案)…ブラックボックスシアター(オスロ)
・『無罪判決(Acquittal)』…ハイウェイズ(サンタモニカ)、シアター・ロウ(ニューヨーク)
・『ダーラー王子(Dara)』…リトルトンシアター(ロンドン)、ノースカロライナ大学チャペルヒル校
・『ブルカヴァガンザ(Burqavaganza)』(出演者全員が終始ブルカを被って演じる)…ブラボー・フォー・ウィメンシアター(サンフランシスコ)

 

* * *

 

● 歴代のワールド・シアター・デイ・メッセージ発信者

2020

シャーヒド・ナディーム

劇作家、アジョーカー劇場(Ajoka Theatre)主宰

パキスタン

2019

カルロス・セルドラン

演出家、劇作家、演劇教育者、大学教授

キューバ

2018

○ウェレウェレ・リキン
○マヤ・ズビブ
○ラム・ゴパール・バジャージ
○サイモン・マクバーニー
○サビーナ・ベルマン

フランス

2017

イザベル・ユペール

俳優

フランス

2016

アナトーリー・ワシーリエフ

演出家、教育者

ロシア

2015

クシシュトフ・ヴァルリコフスキ

演出家

ポーランド

2014

ブレット・ベイリー

劇作家、デザイナー、演出家、インスタレーション・アーティスト

南アフリカ共和国

2013

ダリオ・フォ

劇作家・演出家・俳優

イタリア

2012

ジョン・マルコヴィッチ

俳優

アメリカ

2011

ジェシカ・A・カアゥワ

劇作家・俳優・演出家

ウガンダ

2010

ジュディ・デンチ

俳優

イギリス

2009

アウグスト・ボアール

演出家・作家

ブラジル

2008

ロベール・ルパージュ

演出家・劇作家・俳優

カナダ

2007

シェイク・スルタン・ビン・ムハンマド・アル・カーシミー殿下

シャルジャ首長・歴史家・劇作家

アラブ首長国連邦

2006

ビクトル・ウーゴ・ラスコン・バンダ

劇作家

メキシコ

2005

アリアーヌ・ムヌーシュキン

演出家・太陽劇団創立者

フランス

2004

ファティア・エル・アッサル

劇作家

エジプト

2003

タンクレート・ドルスト

劇作家

ドイツ

2002

ギリシュ・カルナド

劇作家・俳優・映画監督

インド

2001

ヤコボス・カンバネリス

詩人・小説家・劇作家

ギリシャ

2000

ミシェル・トランブレ

劇作家・小説家

カナダ

1999

ヴィグディス・フィンボガドゥティル

アイスランド第4代大統領

アイスランド

1998

ユネスコ創設50周年記念メッセージ

1997

キム・ジョンオク

演出家・劇団自由創立者

韓国

1996

サーダッラー・ワッヌース

劇作家

シリア

1995

ウンベルト・オルシーニ

演出家・劇作家

ベネズエラ

1994

ヴァーツラフ・ハヴェル

劇作家・チェコ共和国初代大統領

チェコ

1993

エドワード・オールビー

劇作家

アメリカ

1992

ジョルジュ・ラヴェリ

演出家

フランス

1992

アルトゥーロ・ウスラール=ピエトリ

小説家・作家・政治家

ベネズエラ

1991

フェデリコ・マヨール

ユネスコ第7代事務局長

スペイン

1990

キリール・ラヴロフ

俳優

ロシア

1989

マーティン・エスリン

演劇批評家

イギリス

1988

ピーター・ブルック

演出家

イギリス

1987

アントニオ・ガラ

詩人・劇作家・小説家

スペイン

1986

ウォーレ・ショインカ

詩人・劇作家

ナイジェリア

1985

アンドレ=ルイ・ペリネッティ

演出家・ITI事務局長

フランス

1984

ミハイル・ツァレフ

俳優・演出家

ロシア

1983

アマドゥ・マハタール・ムボウ

ユネスコ第6代事務局長

セネガル

1982

ラーシュ・アフ・マルムボリ

指揮者

スウェーデン

1981

各国センターからのメッセージ

1980

ヤヌシュ・ヴァルミンスキ

俳優

ポーランド

1979

各国センターからのメッセージ

1978

各国センターからのメッセージ

1977

ラドゥ・ベリガン

俳優

ルーマニア

1976

ウジェーヌ・イヨネスコ

劇作家

フランス

1975

エレン・スチュワート

ラ・ママ実験劇場創立者・プロデューサー

アメリカ

1974

リチャード・バートン

俳優

イギリス

1973

ルキノ・ヴィスコンティ

映画監督

イタリア

1972

モーリス・ベジャール

振付家

フランス

1971

パブロ・ネルーダ

詩人

チリ

1970

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ

作曲家

ソビエト連邦

1969

ピーター・ブルック

演出家

イギリス

1968

ミゲル・アンヘル・アストゥリアス

小説家

グアテマラ

1967

ヘレーネ・ヴァイゲル

俳優・ベルリーナー・アンサンブル創立者

東ドイツ

1966

ルネ・マウ

ユネスコ第5代事務局長

フランス

1965

匿名のメッセージ

1964

ローレンス・オリヴィエ

俳優

イギリス

1964

ジャン=ルイ・バロー

俳優・演出家

フランス

1963

アーサー・ミラー

劇作家

アメリカ

1962

ジャン・コクトー

詩人・小説家・劇作家

フランス